編集をしながら、足りないワンピースを撮っては、そこに埋めていく。
何か足りない? 何が足りない?
それは頭では考えないで、足で考えることにしている。
とりあえず歩き出して、その時間のその場所に立って、「見えた」ものを撮ってみる。
「見えた」というのが、肝心。
それらを溜め込んでいって、直感的に足りないところに埋めてみる。
自分の思考には無かった意外な「何か」がそこに見つかれば、良かったね、だ。
ああ、認められたい。
休みの終わりは何かやり残してないか考え、あたふたする。
今、この時間、やれることはないか、何度もノートパソコンを開けてみる。
振り返れば、ずっとそんな状態だった。
そんなわけで休みの間は、ずっとYouTubeのお世話になった。
稲川淳二、細野晴臣、エルビス・コステロ、安部公房、アレック・ソス、ウェス・モンゴメリー、みうらじゅんなど、最後は小川美潮・チャクラにまでさかのぼり、1992年8月、チケットを手に入れながらも自らの若気の至りで見に行けなかったライブ映像まで見るに至った。
とは言え、それは他人の行動を見てるだけだから、自身で行動するほどの満足感も得られないのも事実。
ドキドキワクワク、無我夢中で写真を撮っている時間の方が、やっぱり僕は「生きている」感を味わうことができる。
先日『ほぼ日』で見つけた、『井戸を掘る薫ちゃんと、すぐ帰るイトイさん』と題された、小林薫さんと糸井重里さんの対談。
そこにあった「井戸を掘る」という言葉。
この言葉はもともと、詩人の故・田村隆一さんのもので、この「井戸を掘る」というのは誰にとっても当てはまる、良い表現だと思います。
僕が説明するより、直接読んでもらった方が早いので、興味のある方は読んでみてくだい。
とても納得できる対談です。
あと、飲み会についても、考えさせられる対談です。
お酒は楽しく適量で。
50歳になった僕も、今はそう思うっています。
明るく陽気にいきましょう。ぴろき、いいね。