前回に書いた、映画『2001年宇宙の旅』の続きを、もう少し。
ラストの部屋のシーンにまでつながる僕なりの解釈というか、印象を書き起こす。
BSの番組で「スターゲート」と呼ばれてたあの光のトンネルのようなものは、 宇宙の奥底のような場所にボーマンを連れて行き、 同時にそれはボーマン自身の持つ、内なる生命の宇宙にシンクロする。
そのシンクロした風景が、あの「部屋」であり、そこでボーマンは輪廻転生を見る。
彼は死を迎えるベッドの上で、次なる命の始まりを眺める。
宇宙は、地球の外のことだけではなく、人の中のことでもある。
木星近くの宇宙空間でボーマンは、大日如来に召された、みたいな感じ。
それを他者の眼で現実的に見れば、 発狂したボーマンの「死体」は小型宇宙船「ポッド」に乗せられて、 永遠なのかどうなのか、 宇宙空間をさまよい続ける、そんなことになるのじゃないかしら。
密教では、言葉に表せない教えをマンダラという絵図に託していると聞いた。
つまり、その教えに対する理解は、受け取る側の努力の上での解釈にまかせてられている。
とすると、真理は一つの言葉で表せない、ということになる。
または、それを表すには言葉は不自由すぎるということなのかもしれない。
言葉は発する側と受け取る側で印象が全然変わってくるから。
抽象的なものの本質を言葉で表すには、あまりにもったいない。
言葉を絵として扱えば、それはできるのかもしれない。
でも言葉を使った時点で、受け取る側の先入観が邪魔をする。
それはともかく、『2001年宇宙の旅』も、マンダラと同じことが言えると思う。
誰がどうしたとか、そういうドラマも悪くないが、映画がそれだけのものであってはつまらない。
『2001年宇宙の旅』のように、宇宙という場所の中にいる小さな人類という視点は、なんだか気持ちがいい。
そういう感覚を僕の中に作ったのが、元をただせば『2001年宇宙の旅』という映画だ。
ずっと、謎は謎のままでいい。