日な日な余波ははなやか歩く

週1~2回くらいのペースで、ここで写真展をやってます。「繰り返し」と「凡庸」は写真と人生の本質です。

京都という看板を外す。

今朝の撮影は、9,801歩で、220カット。

お腹が減ったのと寒いのとで、駅に下り立つまで、今日はどんな感じで撮影しようかを考えててない自分に気づかなかった。 頭がぼんやりしている。 

 

今朝の1カットめ。 

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いざ撮り始めても、ぼんやりが続いている。 撮っている写真が、素通りしていく。 

あれ、何を撮っていたんだっけ? これでは、いけない、空振りは嫌だ。

なんでもいいから実感できる何かを見つけて、リアリティーを獲得したい。

今日も、一からのスタートだ。

 

デジタルの良さは、とにかくたくさん撮れることだと実感している。

35ミリや、ブローニフィルムのように枚数に区切りがないから、意識が区切られず、自分の興味と欲が尽きるまで撮り続けられる。 カードがいっぱいになっても近くのコンビニで買えばすぐだし。

 

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「京都」という看板を一度はずして撮った写真に、再度「京都」という名前を貼り付ける。進む方向が見え出してきた。 

カメラが連れていってくれる場所に自らを任せていれば、奇抜なことをしなくとも刺激をうけられる。 

そして、それの繰り返しは、また新たなグルーヴ感が生んでくれる。

自分のような人間でも、続けていれば知らずと普遍的な場所に近づいていける気がする。

 

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