映画は、まず画面がよくないと、と思う。
派手な物語を必要としなくても、良い画が映されれば、僕は結構満足できる。
丁寧な画作りをすれば、言葉で説明する以上の何かを与えてくれる。
もちろん物語があってこその映画だけど、案外、物語だけを見てるわけでもない。言葉では説明できない物語の展開だってあるし。
なんというか、膨らまないで、そのまんまの画ヅラの映画ってあったよね。大スターが写っていれば、それでいい、みたいな。
そういうのを見てしまうと、イライラする。作為が前面に出てしまっているのもさらに、イライラする。
WOWOWでいま『台風クラブ』をやってて録画中なんだけど、相米慎二のこの頃の作品は好き。そのまんまの画と言われればそうなんだけど、画面にエネルギーを感じる。
青春のやるせなさ、野蛮さみたいなのが、ワンカットの長回しで記録する感じは、単純なカッコよさを超越するものがある。そのあたりをベルナルド・ベルトルッチも絶賛したらしい。
ただ、作為的といえば作為的・・・・・なんだけど、役者に何度も何度も演技をさせて、それを何度も何度も撮ったことで、わざとらしさを吹き飛ばすことを可能にしているのかもしれない。
生きて血の通った映画を作る「現場の人」って感じ。
一つのことを訳がわからないくらいに繰り返すことって、たしかに面白い。
反復、反復、反復。
うちの会社のトイレの日めくりカレンダーには、「努力とは、反復である」と書いてある。
やっぱり、そうなのか。