勤め先から帰って、自分の部屋の風景を眺めると我に帰る。
表面的な言葉の付き合いは、それが必要だからということで無理もないが、その反面、自分にとっては心が枯れていく気分になる。休みの1日をその流れのままで過ごしてしまうと、心は循環されないまま、ストレスの層が積もる。
休日の朝は、雨が降らない限り、午前4時に起床して撮影に出る。すべての困難を自分の写真に昇華していくことに費やす。
もう世間一般に用意された「物事」だけで、自分を満たすことはできない。
もちろん自分の栄養となる音楽や書籍など、先人が残したものは必要に応じて手に入れる。でもそれはあくまで自らの栄養であって、自分自身の生き方そのものにはならない。
自分の望む写真を一枚でも多く撮って、そこからこの世界と人間そのものを探っていく。僕にはそれ以外、もう方法は無い。
疲れや衰え、惨めさ、虚しさ、怒りに、欲望に、抵抗、孤独、そういうものが穏やかさへ向かっていくことを望む。それは忍耐の必要な作業だ。
「良くても悪くても、やらなければいけない。この残酷さ。我々はそこにまで考えを至らさなければならない。」。
映画『柄本家のゴドー』からの、柄本明氏の言葉。このような考え方は、人から教わらなければ、自分では見つけられない。本当に凄い言葉だと思う。