日な日な余波ははなやか歩く

週1~2回くらいのペースで、ここで写真展をやってます。「繰り返し」と「凡庸」は写真と人生の本質です。

また夏が通り過ぎる。

shop、または 『ホホホ座浄土寺店』にて、写真集発売中です。

 

 

 

 

 京都大学、時計台。 案外、撮ったことがなかった。 

自分の場合、観光案内ではなく、そのニュアンスだけが写ればいいので、こういう感じの写りで良しとする。

 

 今朝はめまいもないけど、なんか面倒臭いので、近所を歩く。 でも、30年以上の見飽きた風景をモチーフにする撮影は、案外骨が折れるもの。 「次なる何かを!」と渇望している自分を少しでも満足させることができるのか、というのは、いつもある。 

 

 今朝の場合は、しばらくさまよい歩いた後、上の「京都大学・時計台」を撮影できて、少しだけ焦りは解消された。 何枚か撮ったうちの、このカットには、得体の知れない何か感が写ってる。 「時計台」なんだけどね。 その時にしか写らなかった何か・・・がね、・・・写った気はするんだよ。

 

 

 

 続いて、すぐそばの「イタリア会館」。 その側面の模様。 

 

 こういうのは好き。 これを夜明け光の中で撮ると、「それだけ」が写真に写る気がする。 つまり、その「違和感」だけが写真に写る。 その瞬間、「これは何なのか?」という説明はすでに要らなくなって、ただダイレクトに写っているものだけが鑑賞する人に伝わる。 言葉による理解ではなく、眼から眼へ、直接やり取りするということ。 それこそが自分にとっての「写真」なのである。 

 

 昼間の光の中で撮ると、人間の日常としてしか写らない、それが嫌なのだ。  

 

 

 

 

 そして、その後撮った数カット。 この間、トイレ問題が発生。 創作の途上であろうとも動物的な生理現象には悩まされる。 頭の中にあるトイレマップを広げて、とりあえず難を逃れる。

 

  

 「ずっとごまラー油」という声が聞こえる。 

 

 後になって眺めると、あれっ違うかも。 絵本か何かのキャラクターなのか? いや、ややリアルバージョンでこんなのがあったのかも? わからない。 いずれにせよ、かわいいのでupする。 

 

 絵本といえば、探してた大竹伸朗『ジャリおじさん』を、昨日大型書店で見つけた。

 

 

 

 

 

 

 

 最後は、高野の団地。 広場の奥までは入ったことなくて、何度と歩いたのに、初めての風景を見つけた。 公共の場の時計は不正確なものが多いけど、最初の「時計台」にしろ、この広場の時計にしろ、肝心な場所での時計の時間は正確だ。

 

 

 そんな感じで、今朝は9,923歩歩いて、撮ったのは95カット。 まあ、近所の散策だから、こんなもんです。 昨日は午後にも出かけたついでに撮影して、1日合わせて20,342歩を歩き、415カット撮る。 少しスッキリする。 

 暑い中、昼間っから飲む生ビールは美味かった。