BSで、『最後の講義』の柄本明編。
この人が話す演技のことは、田舎に暮らす人にも理解できる。 都会に住む「その筋の人」にだけ通じない話とは違う。 だから役者ではない人が見ても面白い。 むしろ根本的なことだと思う。
講義の中で出てくる掘り投げて床にバタンと落ちた「段ボール箱はいい役者、人間は駄目だねえ」なんて、まさに『既にそこにあるもの』だ。
大竹伸朗と柄本明。 二人の存在は同一線上にある。 僕にとってはね。
今朝も写真を撮りながら、カメラで拾う「もの」や「こと」について、考える。 いや、正しくは写真になった時の「もの」や「こと」について考える、である。 理屈は当てにせず、当てずっぽもダメ。
いつもそうだけど、マンネリを避けるには、結局、よく見て、考えて、するしかない。 何でも撮っときゃいいんだ、では何も掴めない。 今の「その時」をちゃんと見るしかない。 ただ、繰り返しだけのようで、その時間の真摯な「何か」が写った時が、自分には「つまらなくない」ということになるのである。
働く行為には、必ず惰性が伴う。 しゃーない、が日常だ。 写真をビジネスにしないのは、撮る瞬間にそういうことを無視できないから、なのかも知れない。
田舎に生まれてよかったと、今僕はそう思ってます。
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