日な日な余波ははなやか歩く

週1~2回くらいのペースで、ここで写真展をやってます。「繰り返し」と「凡庸」は写真と人生の本質です。

生きるのは、不安定。

 

 昨日、4回目めのワクチン接種。 だから今も身体のあちこちが痛い。 けど、発熱はなし。 今朝は4時過ぎに家を出て、久しぶりに京阪電車出町柳から5時ちょうどの始発に乗る。 七条駅を過ぎて電車が地上に出ると、すでに空が明るい。 少し慌てる。

 

 

 

 

 

 

 

 「東福寺」駅を出て南に曲がり、踏切を渡って西に進む。 そして目に入ってくる風景を考える事もなく撮り始めるが、今朝は最後まで街と自分が噛み合わず、手応えもないまま、何をやっているのか自分でもよくわからない状態が続く。 あれ、僕は写真の何に魅かれてたんだっけ? そんな気分。 

 

 やっぱり夜明け前の暗いうちから撮り始めないと、やりにくいのは確か。 順を追って対象に引き込まれていかないと、自分の中にグルーブ感が生まれない。 とは言え、篠山紀信『オレレ オララ』みたいのなら心身の状態は写真に影響もするだろうけど、夜も覚めやらぬ朝の風景を前にグルーブ感も何もあったものではないか、という感じもずる。

 

 状態のいい時は、次から次へと写すべき対象が目に入ってくる。 今日はそれがない。 下手すれば同じことの繰り返し感が先に立って、何にも写せなくなりそう。 ヤバめだわ。 明日からの1週間が乗り切れない。 そんな感じになってくる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 家に帰って撮ったものを確認してみたら、まあ悪くはない・・・・ていうか、いつもと変わらない。 多少の自信はあるしね。

 



 この1週間は心が不安定で、気力が弱ると八方ふさがりの状態に陥りそうになる。 前に進む具体的な方法を見失いそう。 それと自分が低血糖であることにも自覚した。 

 低血糖の時はとてつもない空腹を感じ、声を発するのもしんどくなる。 何をするにも散漫になって、意識が閉じてしまう。 そういうのもあるんだなということを自覚する。 

 

 

 自分が過度に敏感になって、鬱の状態に陥らないためには、適度に心の中に持っているものを外に出さなければいけないと思っている。 自分の場合、今は写真を通じてしかそれを表現する術が見当たらない。 

 世間の人を見てても、働いて、適度に遊んで、楽しい気分を共有したりして・・・なんだろうね。 自分の中にある欲求は忘れ去る事もできず、そして誰にも預けることができないから、僕はそれを常にいじくってないと耐えられない。 それは案外、趣味の領域に収まることではなくて、なおかつ、絵ばかり描いてた幼少の頃から始まっているのだから、根は深いのである。

 

 

 


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