日な日な余波ははなやか歩く

週1~2回くらいのペースで、ここで写真展をやってます。「繰り返し」と「凡庸」は写真と人生の本質です。

小津安二郎『東京暮色』は、失敗作ではない。

 

 

 この前の日曜、録画してた小津安二郎『東京暮色』(1957)を観た。 

 

 小津作品の中では異色で、とにかく暗いとは聞いていたから、興味はあった。 が、観るのを先送りしていた。 

 ふと、映画の冒頭だけでも観ておこうかと思って再生したら、そのまま最後まで観てしまった。 面白かった、というか、良かったのだ。

 

 これを書き出す前に、2013年発行のユリイカ「小津安二郎 生誕110年/没後50年」の中の中野翠『曇天の東京』という文章を読んだ。 この文章の中では『東京暮色』は「失敗作とみなされがち」という評判だったらしいけど、そこまで小津安二郎を熱心に見極めてるわけでもなんでもない自分には、なんら失敗作的印象はない。 たしかに暗いけど、現実の世界の暗さに自分は麻痺しているのか、さほどでもない。

 

 人の不幸は蜜の味などというが、困っている人のその行末を追ってしまうのは、無関係な他人の性なのか。 映画の中でも麻雀卓に群がる大人の言葉はニタニタ笑いの、ああ無情。 それでも父親役の笠智衆が物語の終わりに見せた姿は、やっぱり小津安二郎、と思わせてくれた。

 

 

 

 

 あと、作品の中で人と人がぶつかる暗い局面のシーンでも、小津安二郎はいつものようにサザエさん的な音楽をバックに静かに流している。 悲劇すら、それも人生、という感じで時が過ぎていく。 やはり、すべては「無」なのか。 とりあえず見苦しさは緩和される、他人事なのだから。 でも僕にとってこの音楽の使い方は驚きだった。

 

 デジタルリマスターでノイズ無し。 白黒の濃淡が画面を美しく見せる。 僕は小津安二郎の作品の画面が好きなのだ。 日常的だけど、計算されていて、一分の隙もない感じ。 カラーの作品の方がいいかと思っていたけど、この映画の中の「曇天の東京」は、とてもよかった。 

 

 もう一回観ておこう。 いつになるかわからないが。

 

 

 

 

 明日からの三連休は更新できないので、とり急ぎ今朝更新しました。 

今回の写真は、先日upした残りです。 休みの間は、写真をたくさん撮ります。 SDカードも買いました。 休み明けの更新も、よろしければご覧ください。 

 

 ご覧いただいている方々、いつもありがとうございます。 僕はブロガーではないですが、写真の作家として、生きている間に出来る限りのことをやろうと心に決めています。 

 

 これからもよろしくお願い申し上げます。    酒井一貴(さかい かずたか)

 

 

 

 

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