日な日な余波ははなやか歩く

週1~2回くらいのペースで、ここで写真展をやってます。「繰り返し」と「凡庸」は写真と人生の本質です。

帰省からの帰省。

 

 

 

 

 

 お彼岸の帰省。 春以来ぶり。 あんまり帰らないと故郷が意識から遠退いていく。 それは自分のためにもよくない。  

 

 家の裏にある畑の写真を撮りながら、今後の生活のことを想う。 日常の日々は忙しく、数年後の生活の準備など遅々として進むはずもなく、先送りばかり。 人生の最後を自分はどう迎えるのだろう?  自分の周りに積み重なった問題は、どんな形に収まっていくのだろう?  みっともなく惨めなものになりはしないだろうか? 

 

 取り立てて派手でもない、むしろ地味な人生にも、生きる難しさが付きまとう。 誰だって自分のことが一番わからない。 

 

 

 二泊三日。  ともかく、朝夕に、そして昼に車を走らせ、写真を撮った。 台風は滋賀県北部にあまり影響を与えず、青空さえ見せてくれた。 

 強風吹き荒ぶ余呉湖を撮るというのもいいななどと開き直って楽しみにしていたが、そんな感じはひとつもなかった。 偶然に合わせる、その態度が良い写真を撮る基本だと思っている。 できないとわかっていることは、やらないけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 上は、余呉湖の夜明けから朝にかけての風景、そして夕方、日没の風景。 

 

 夕方の写真は、モノクロではなくカラーで撮っている。 黄色い夕焼けの時間。 人の眼は気づかないうちに色や明るさを補正する。 けど、写真はそういうわけにはいかない。 風景が露骨に黄色い。 三脚を立てて低感度で露光時間を長くで撮っているから、比較的自然の色で再現されていると思うが、もしかするとデジタルカメラはより色が強調されたりするのかもしれない。  とにかく、わざとこんな色にしているわけではありません。 撮った、そのまんまです。

 

 「余呉湖」で検索すると、とんでもなく表現され過ぎた写真が出てたりしますが、僕などはそれは如何なものかという疑問があります。 悪口ではありません。 疑問です。 写真のこと、自然のこと。 写真の中に含まれる自らの主観は、結果の話であるべきだと思います。 自然側からすれば迷惑な話ではないかと、僕などは思ってしまいます。

 

 

 

 

 

 とりあえず、今日はこんなところで、おしまい。