日な日な余波ははなやか歩く

週1~2回くらいのペースで、ここで写真展をやってます。「繰り返し」と「凡庸」は写真と人生の本質です。

稲川怪談。

 

今朝は13,200歩で143カット撮る。歩いた割には、だいぶ少なめ。

 

f:id:sakakazupics:20210612191617j:plain

f:id:sakakazupics:20210612191640j:plain

f:id:sakakazupics:20210612191710j:plain

 

YouTube稲川淳二の怪談を、ほぼ毎日聞いる。

小学生だった昭和のお昼のワイドショーの頃から好きでたまらない。

有名な朝日放送の「プラスα」の「生き人形」の回は見てないのだけど、その後日談の回は見た記憶がある。確かそういう回があった。だからTVに写った男の子の幽霊は僕は見ていない。

二十歳の頃の関西テレビ『百物語』も毎回楽しみにしていた。最終回は「生き人形」の話だった。

 

f:id:sakakazupics:20210612194530j:plain

 

しかし何故こんなに稲川淳二の怪談に惹かれるのか。

理屈抜きに好きなのだけど、あえて無理に大袈裟に言えば「人間という生き物」を違う側面が見ることができるからかもしれない。

「心」あるが故の遺恨、それが現実の日常も歪めてしまうほどの力になってしまうのが凄いなと感心してしまうのだ。もちろん、負のエネルギーだけが霊魂ではないと稲川氏も言っている。それがさらに人の心とは何なのか? という感じにさせてくれる。

どこまでが感情でどこまでが本能なのか、なぜ心が生まれたのか、それは今僕が漠然と思い考えていることでもある。

 

f:id:sakakazupics:20210612200932j:plain

f:id:sakakazupics:20210612200956j:plain

 

何度も聞いていると一つの話もその時の状況で話し方が違ってくるのが興味深い。

この前聞いた「ニッポン放送」の旧社屋の話はいくつかの話が繋がってて、それがよかった。

「生き人形」の話も「ニッポン放送」の南こうせつの話から始まる。

でもそれも偶然そのパターンを僕は聞いただけで、たぶん省略されることの方が多いだろうと思う。そして「生き人形」と稲川淳二氏との関係は、今現在も続いているらしい。

周りの人々は怪我したり亡くなったりしている場合もある中で、稲川氏の存在は相当な関係性を持っているだろうと僕自身も予想していたが、やっぱり何かあるらしい。

そのあたりのことをいずれ話すつもりだとYouTubeチャンネルで予告されていた。

人生そのものになっている。

 

f:id:sakakazupics:20210612203934j:plain

f:id:sakakazupics:20210612203947j:plain



 

 

 

 

 

 



 

そのうち良いのが。

f:id:sakakazupics:20210608202658j:plain

 

良い写真というのは、なかなか出てこない。

偶然天才的に撮れた1枚と、凡庸に撮った100枚の中から選んだ1枚とでは、凡庸に撮った100枚からの1枚の方が強い写真だというホンマタカシの言葉を、いつも僕は思い出す。 

  

f:id:sakakazupics:20210608202734j:plain

 

自分が撮った写真には当然見慣れたものと見飽きたものが同居していて、そのせめぎ合いの中で思いもしなかった「何か」が見つかることは、そう多くはない。

ま、他人様の評価は関係なく、自分の中でだけの話だけど。

 

f:id:sakakazupics:20210608202806j:plain

 

f:id:sakakazupics:20210608202822j:plain

 

f:id:sakakazupics:20210608202852j:plain

 

休日は億劫なこともあるけど、大概は外に出る。

とりわけ夜明けの時間に歩くのは、もう義務のように習慣づいてしまった。

 

そして毎回、何かはある。なかったかのように見えて、何かあったりする。

ひたすら数が増え続ける中で、今日のそれが埋もれずに後々残るものなのかどうかはわからないけど。

 

f:id:sakakazupics:20210608202944j:plain

 

f:id:sakakazupics:20210608203008j:plain

 

歩いていると、いつも見ているものが何だか違って見える。

その「見えた」という瞬間に写真を撮るのは、気持ちがいい。

そしてそれは時間が止まらない限り、いつまでたっても終わらないし、キリがない。

疲れるまでやっている。ほとんど病気だ。偏っている。

そんな時、昭和のTV番組『カックラキン大放送』での研ナオコ野口五郎の、「死ぬまでやってろ」というコント終わりのツッコミが、僕の頭の中でふと蘇るのです。

 

f:id:sakakazupics:20210608203026j:plain

 

『ディアハンター』の『カバティーナ』。

f:id:sakakazupics:20210606182412j:plain

f:id:sakakazupics:20210606182347j:plain

f:id:sakakazupics:20210606190608j:plain

f:id:sakakazupics:20210606190514j:plain


映画一本を一度に全部見ることができなくなっている。

なぜかこれまで見てこなかった『ディアハンター』も、結構長めの作品。

録画したのを何度かに刻みながら、今朝見終わった。

映画の感想としては、悪くはない。

ロシアンルーレットのシーンに目を背けながら、ラストのやるせない感じにはグッときた。

とりわけ、テーマ音楽に使われている『カバティーナ』が素晴らしい。

行き場のない感情を静けさに変えるように、胸に沁みるクラシックギターの音色が、耳から離れない。打ちのめされてしまった。

 

f:id:sakakazupics:20210606185441j:plain

f:id:sakakazupics:20210606185513j:plain

f:id:sakakazupics:20210606185537j:plain

 

今日は夜明けに撮影に出たにもかかわらず、午後も街を歩いて写真を撮りながら、『カバティーナ』の余韻に浸った。

結果、合計22,898歩で474カットを撮影。

多くは撮ってみたものの、そんなに写真として良いのもない。

上がりに意外性がないというか。撮ったまんまというか。

 

f:id:sakakazupics:20210606190209j:plain

f:id:sakakazupics:20210606190247j:plain

 

f:id:sakakazupics:20210606190314j:plain

 

f:id:sakakazupics:20210606190332j:plain

f:id:sakakazupics:20210606190345j:plain



 

かっこ悪い撮影、続き。

f:id:sakakazupics:20210530200559j:plain

f:id:sakakazupics:20210530200710j:plain

 

撮りたいという欲望を街頭でムキ出しにするのは、恥ずかしいものだ、普通は。

お金になるかどうか保証はない。

写真を撮るすべての理由は自分の中にある。それがなければ始まらない。

そしてその時、自分の中に葛藤がないはずはない。

 

f:id:sakakazupics:20210530201537j:plain

f:id:sakakazupics:20210530201608j:plain

f:id:sakakazupics:20210530201641j:plain


そんなのも慣れた。

まず1回きちんとシャッターを切ってしまえば、そのまま夢中になれる不思議な習性。

下手に仕事を理由に撮らなくて済んで良かったとさえ思う。

社会的理由が無いけど、それでも撮るというのが本来の「写真」と「写真行為」なのだ。

頼まれて撮ったところで、面白くなくて全然やる気が起こらないし、僕にはできない。

その理由は、直感を必要とされる自由さがそこに無いからだと思う。

相手や世間に合わせることができないから、自分自身がその依頼に対して何の欲求も無い空っぽの状態になってしまい、相手の操り人形として動くしかなくなってしまう。

その居心地の悪さは、底知れない自己嫌悪につながる。

 

今日の午後、近所を散歩しながらモノクロで撮る。強い日差しによる光と影。この美しい世界。

8,168歩歩いて、138カット撮影

 

f:id:sakakazupics:20210530204021j:plain

f:id:sakakazupics:20210530204050j:plain

f:id:sakakazupics:20210530204113j:plain



かっこ悪い撮影。

今朝は7,276歩で、162カット。いつもより少ない。

夜明けの時間に京都市の西を歩くためにバイクに乗ることにした。

夜明けに間に合いはしたものの、なんだか味気ない。

時間を消化しただけの感覚を味わうことになった。

やっぱりほんの少しの旅気分が必要なのかもしれない。

 

f:id:sakakazupics:20210530092743j:plain

f:id:sakakazupics:20210530092805j:plain

f:id:sakakazupics:20210530092832j:plain

f:id:sakakazupics:20210530092853j:plain

 

昨日9時に布団に入ったら日付が変わる前に目が覚めてしまって、そこから一睡もできない。

布団を出る3時までずっとウロウロ考えて過ごした。興奮していたのかもしれない。

起きて部屋で支度をしている間、「ラジオ深夜便」の『作曲家・井上大輔作品集』を聞く。

僕ら世代は映画のガンダムの歌でおなじみだけど、この人は自殺してしまった。

その理由を勝手に想像しながら、家を出る。

 

写真を撮るのは面白いけど、傍目には決してかっこいい姿には写らない。

自分の欲望ムキ出しの姿を外でさらしているのだから、撮る理由がわからないような対象に一生懸命になっているのは時には怖く見えるらしい。声を聞いたことがある。

でも・・・それをやらなければ、何の意味も個性もないじゃないか、ということである。

常識の範囲の視点に立っていても・・・・・ねえ。

赤の他人が勝手にやっていることだから、知ったこっちゃないのは当然だけど。

 

f:id:sakakazupics:20210530100405j:plain

f:id:sakakazupics:20210530100443j:plain

f:id:sakakazupics:20210530100507j:plain

f:id:sakakazupics:20210530100545j:plain



 

 

 

 

 

良い天気。

2連休、2日目、晴れの日。 

今日も西へ。今出川通から丸太町通へと斜めに歩く。

f:id:sakakazupics:20210523100417j:plain

 

f:id:sakakazupics:20210523100441j:plain

 

f:id:sakakazupics:20210523102130j:plain

 

f:id:sakakazupics:20210523102226j:plain

 

f:id:sakakazupics:20210523102304j:plain

 

f:id:sakakazupics:20210523102336j:plain

 

f:id:sakakazupics:20210523102359j:plain

 

f:id:sakakazupics:20210523102813j:plain

 

f:id:sakakazupics:20210523102848j:plain

 

昨日は雑な感じで撮り終わった気がするが、今朝は空が青くて光がきれい。風景に濁りが無い。

次から次へと何かが見つかる。

あるがままの街の「表面」が良い感じで撮れた気がする。

 

撮っているうちに堀川丸太町にたどり着く。それでも止まらず、キリがない。

ライブハウス『十得』を撮ったらやめにすることにしようと決め、打ち切りにする。

 

11,118歩で、214カット。

 

f:id:sakakazupics:20210523102739j:plain

 

f:id:sakakazupics:20210523103154j:plain