日な日な余波ははなやか歩く

週1~2回くらいのペースで、ここで写真展をやってます。「繰り返し」と「凡庸」は写真と人生の本質です。

2020-01-01から1ヶ月間の記事一覧

続 グイド・グイディ、久しぶり。

イタリアの写真ぽく写っていないというのは、そういうわかりやすい風景が写っていないということ。 写真集『in Vento 1984-87』では巻末に簡素な地図でも示されているように、地名は重要な意味を持っているだろうし、そうすると社会的な時間の流れによる風景…

グイド・グイディ、久しぶり。

一乗寺界隈を歩く。 久しぶりに某有名書店に立ち寄ると、グイド・グイディの写真集『in Vento,1984-89』を見つける。何か新しい写真集が欲しい気分だったので、迷わず購入する。 20数年前、作者の名前の読み方もわからずにグイド・グイディの写真集を買った…

明るい心

他人からどう見られようと、どこ吹く風でありたいと思う。 できれば、人に依存はしたくない。 『明るい心』と題したのは、外見的な振る舞いを言っているのではなく、常に自らの中に灯りがともっているかということを現している。 文章を読んだり書いたり、絵…

夜と朝の間に。

午前1時頃に目が覚めて、しばらく眠れないまま、いろいろ考えたことが、朝を迎えた今、どれほど頭の中に残っているのか。 考えている最中から、たいして残らないだろうと予想はしていた。 今、簡単に大ざっぱにメモとして残しておくとすれば、自分のペースで…

写真集  『今日のはじまりに、今を思う』

2020年のはじまりに撮った写真を、あらためてまとめ直しました。 今年も宜しくお願い申し上げます。

次の日も。

次の日も、おんなじ場所に行ってみる。おんなじ時間に。 昨日は志ん生の『富久』を聞きながら、そして今日は談志の『富久』を聞きながら、おんなじような空模様、霧にかすむ山々を感じながら、意識は遠のいていく。 自分の頭の中をウロウロしているようだ。…

あっちの世界

だだっ広い田んぼのあぜ道にて。 古今亭志ん生の何を喋っているのかわからない『富久』を聞きながら、陽が差してくるのを待って、自分でも何を撮っているのかわからないまま、意識が遠くなっていった。 かろうじて、尿意と便意を自覚することにより、家にま…