日な日な余波ははなやか歩く

週1~2回くらいのペースで、ここで写真展をやってます。「繰り返し」と「凡庸」は写真と人生の本質です。

2011-11-01から1ヶ月間の記事一覧

暮らしの時間の探しもの、5

暮らしの時間の探しもの、4

平坦で、凡庸な風景のつらなりが続く。 フィルムで撮るのと、デジカメで撮るのとでは、何かが違う。もう1年くらい、新たなネガのプリントをしていない。撮って現像したネガは、たまるばかり。 本をつくるのが一段落したら、まとめてプリントをしようと思っ…

film.2、秋

暮らしの時間の探しもの、3

デジカメでいろいろ試しに撮っては、何が写真かを探しているわけです。 撮った写真を自分ひとりで見るのと、web上で人に見せるのとでは、不思議と写真の見え方は変わります。やっぱり見せてこそナンボなのだと、あらためて思います。 見えないものは無いのと…

暮らしの時間の探しもの、2

暮らしの時間の探しもの、1

写真と言葉について、2  荒木経惟「センチメンタルな旅、冬の旅」

今さらながら、すでに古典的な存在になりつつある、この写真集について考えてみたいと思います。 有名なこの文章は、アラーキーの最初の自家版写真集『センチメンタルな旅』からの再録で、後のこの本でも色あせることない、一貫した意思の表明です。その文章…

田園写真、2

家を出るから、生まれた場所は故郷になる。 つまり自分にとっての現在ではなくなるわけだ。家を出るには理由があり、その人にとっての必要、必然があってのこと。 もちろん、僕にもある。 18歳の時、進学をとっかかりとして、家出をする。 公的な家出。出た…

田園写真、1

10年ほど前から田舎に帰る度、写真を撮っている。その理由としてまず1つめは、実家が新しい場所に家を建てたということ。 村はずれの田畑が広がる丘の上という場所で、遠くの山々が見わたせるという少し眺めのよいことにくわえて、まわりに家が少ないから、…

写真と言葉

で、近頃考えてるのが、写真と言葉の関係です。というのも今、僕は本をつくろうとしている最中で、写真を構成・編集したものを日頃写真でお世話になっている方々に見せて相談したところ、「わからない、何か言葉が欲しい」という答えが返ってき、それから毎…

 はじめまして

二十歳のころ、とりあえずの就職したことをきっかけに、写真を始めました。 その「写真館」という場所はそれまでの自分にはまったく縁のないものでしたが、地下の暗室で自分の撮ったモノクロネガをプリントしたことから火がつき、20年たった今も続いてしまっ…

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