日な日な余波ははなやか歩く

週1~2回くらいのペースで、ここで写真展をやってます。「繰り返し」と「凡庸」は写真と人生の本質です。

2019-05-01から1ヶ月間の記事一覧

この前の日曜

写真にする。

風景のひとつひとつ細かいとこを見ていくと、漠然とした個人の日常は消え失せる。 とは言うものの写真を撮る人は、身近なモチーフでことを済ますのは気が進まない。じゃあ、どれだけ距離をとれば身近じゃなくなるのか? もともと距離の問題ではないのか? 場…

答えなど無い。

『ほぼ日』の本の宣伝メール『生きているのは なぜ だろう。』・・・「この本には答えがあります。」だって・・・・。へえ〜、そうなの? そんなものあったってしようがない。答えは風の中でいいじゃないか。型を作るのは、よくない。 志ん生の『びんぼう自…

希望

「新しい時代」だというけれど、人間ということだけで考えれば、たいして希望も見出せない。 自然になれない不自然さで、同じところには止まれない人の生活。杉本博司じゃないけれど、縄文の時代はよかったなあなんて、知りもしないのに思ったりする。 連休…

ひとりずもう

連休も最後日になると、自分の時間の使い方はこれで良かったのか?と自問自答を始める。 街をウロウロしながら、ビールを飲んだり、そばを食したり、見たいものを見て、買いたいものを買い、そしてとにかくもかくにも写真を撮った。 今日本屋さんで「さくら…

自由な時間

上辺の薄っぺらな日常がなくなり、その下の重たい日常(人生みたいなもの)が、姿を現しだした。そのせいか、寝ていても変な夢を見る。思いもしないような。 こんな自由な時間ていうのは、なかなかに恐ろしい。(金儲けとしての)仕事しないで済むのはありが…

駅から実家まで

生きている

3月に姉が亡くなったので、気がつけば、そのことを考えてしまっている自分がいる。 今日は休日らしい1日。青い空に、木々の緑が濃い。 時間を持てあます自分を振り切り、できる限り、一生懸命生きてみる。

オレはその中の一人

フェルメール展(大阪市立美術館)に行ってはみたが、何の感慨も味わえず、何だったのだろう?という感じ。 作品は人影に隠れて全体を見れず、何かを感じる暇も無く、実物感さえギリギリの感じ。他の人の作品も含めて、結構クリアな感じの絵だったけど、フェ…

雨の中