日な日な余波ははなやか歩く

週1~2回くらいのペースで、ここで写真展をやってます。「繰り返し」と「凡庸」は写真と人生の本質です。

2019-04-01から1ヶ月間の記事一覧

単なる一枚の写真であるという意味。

アレック・ソス「 I KNOW HOW FURIOUSLY YOUR HEART IS BEATING 』 人の心の奥は、腹の底はいつも騒ついっているというのは、写真のひとつの撮り方であり、人間の見方、眺め方。 今さらニコパチで撮るというのはやりたいことだとは思わないが、相手が笑って…

疑問があるから大悟あり

「疑問があるから大悟あり」。今さっき、TVで聞いた言葉。 客観的視点あってこその言葉だね。悩んだ量だけ、その次に意味が生まれる。

凡庸こそが、写真だ。

根拠のない補正は、写真をダメにする。 僕にはそれをやる理由が見つからない。だから、やらない。 人は自然の一部にしか過ぎない。人中心でこの世界の物事を捉える考えには賛同できない。世の中自体がそうなっている。誰にも止められない。 せめて写真だけで…

桜を望む気持ち。

夜明けに外に出て桜を撮ろうとはしたが、桜がキレイだという理由で写真にしても、今さらどうだというのか。 調子が良ければ動画も撮りたいという望みも実現せず、結局は普通に近所を撮って歩いた。成り行きで桜も画面に入ってから、まあ、そんなんでいいかと…