日な日な余波ははなやか歩く

週1~2回くらいのペースで、ここで写真展をやってます。「繰り返し」と「凡庸」は写真と人生の本質です。

2019-01-01から1ヶ月間の記事一覧

あては無く。

自分は退屈な人間だから、外に出てもあただても無く時間を過ごすことが多い。 歩くのは苦にならない。だから知らない路地ばかり歩こうとする。もう、それも味わえないくらい、近所は歩きつくしてしまった。とりあえず、近所を抜け出さないと外には行けない。…

とりあえず、大阪

大阪は都会だねえ、どのビルも高くてデカい。 毎日京都の風景を見ていると、あらためて思う。

無題

迷い道

古書店で偶然手に入れた『おときときつねと栗の花』松谷みよ子著は、とても良い本だった。不思議さと、悲しさが入り混じっていた。そして午後からは街をウロウロ。19,279歩、結構歩いた。最後まで迷いが消えなかった。

めでたくもあり、めでたくもなし。

下は、1月5日に撮った写真。夜明け前の時間、曇りの予報が実際は小雨が降っていた。傘をさしながら、三脚を立てて撮った。前日と同じく、志ん生の高座録音を流しながら歩いた。落語はクマやイノシシ除けには、いいかもしれない。なんせ、お客大勢の笑い声も…

フェリーニのアマルコルド

録画してた『フェリーニのアマルコルド』。観ながら、眠くなったら寝て、また続きを観て、を繰り返した。日常ってこんな感じだなあ、という映画の作り方。春の綿毛に始まって、次の春の綿毛が舞うところで映画は終わる。一見、おおらかな映画。でも画面がき…

長浜と、宇津井健

一里塚のあとさき

節目はめんどくさい。年末年始が通り過ぎ、普段の生活に戻るとほっとする。 長い休みだったから、この間に何かになろうという覚悟みたいなものがあったけど、どないなものになったか、よくわからない。

志ん生を聞きながら。

夜明け前。独りぼっちで、まだ暗いあぜ道を歩きながら、スマホで落語を流す。イヤホンは使わない、誰もいないのだから。 イノシシの足跡が残った雪の景色を志ん生の声が一変させた。時々吹きだしながら、シャッターを切る。東京の寄席が寒くて暗い田舎の田ん…

続、無意味の意味

写真を撮り続けているからには、自然に、それなりに、写真の事を考えることになる。 結局、写真とは何なのか?とりあえず、今のところ、 空っぽなんだ、自分にとっての写真は。その空っぽさに意味があるのだと思う。それは目の前の日常と同じ。人間本位に考…

今日の写真。

正月の空気と、冬の暗い空が気持ちが浮かなくさせる。たいしたやる気もなかったけど、とにかく歩いてみる。10,737歩で、撮った数は85カット。

無意味の意味

いつまでも荒木さんを好きなのは、こうゆうところ。写真集『片目』のひとつ目の写真。無意味の意味こそが写真の凄さだと、僕は思う。どうしようもない空虚、ぽかんとした現実、それ自体をかたちにしてしまう写真という手法。融和して安心を得るよりも、孤立…