2012-01-01から1年間の記事一覧
京都、ヴォイス・ギャラリーにて、現在展示中。そうこうしているうちに、クリスマスを迎え、そして歳の瀬へ。 今年も何とか持ちこたえて、少しは前に進んだような、物足りないような。 うちの子にも、今夜サンタさんがやってくる予定。 そして自分にも、何か…
写真集「山と子ども」が、発売中です。京都 MATUO MEGUMI +VOICE GALLERY pfs/w ガケ書房現在、以上のところで、取り扱っています。
先日、自分の写真集ができあがった。その名前は、『山と子ども』自費出版のため、これから京都市左京区を中心に、Shop営業して回らねばならない。 はたして、受け入れてもらえるだろうか? 不安である。 二十歳をすぎた頃、勤めだした写真館の地下の暗室で自…
天気は、曇ったり晴れたり、雨がぱらぱら降ったり。 そんな11月18日。一路、故郷への日帰り。 「あっ、ヤギ。」
ずっと、自分が制作し、取り組んできた、写真集の名前は『山と子ども』。 印刷作業が終わり、これから製本作業するところにまで、やっと漕ぎ着けることができた。 縁あって、印刷機オペレーターという職に就いたということを活かし、 自らの手で出版するとい…
三歩、進んで、二歩、さがる。気づけば、一歩、前へ進んでいる。 それは、確かに本当の「こと」なんだと実感したような、そんな気分。
朝から、降り出した雨。写真の搬入が終えて、雨を遮る屋根もないバス停でひとり、バスを待っている。 ドンヨリとした空と、赤く色付きはじめた紅葉。「時間」が、浮きぼりになる。
京都左京区は百万遍、11月恒例の古本まつりに足をふみいれる。 ひさしぶり。さらさらと流して見ていると、アンセル・アダムスの本を見つける。 うーん、見つけてしまった。どうしよう。 \3800なり。定価ならば、まず\5000は下らない本だろう。 そんなことは…
不安と期待。どちらかと言えば、期待なんて、ほとんどない。 無いに等しい。でも、やっぱり出来上がりを見たいし、実現させるしか道はないのだと、自分に言い聞かせる。 それこそ、New World だ。 W・ティルマンズの新書「New World」。何だか、今回は印刷が…
帰り道。 まっすぐ続く、なだらかな坂。家並みと夕空。 月が光る。歩いて、ひとつ路地を通り過ぎたものの、やっぱり撮っとこうと戻り、シャッターを切る。 小さな喜びだけど、楽しく過ごせた1日だった。ここ以外に、自分の人生はない。
草野球をやったり、井戸端会議に参加したり、他人の冠婚葬祭に気持ちが高揚したり、 例えばそんなことに、うまく参加できる人がうらやましい。それを「人生の平均点を採れる」人とすると、全くそれがない「私」という人間。 如何なものかと、最近、思ってい…
休みの日など、空いた時間の行動パターンは、家族といると、どうしたって似てくる。仕事がいろんなとこへ行く人なら、数々のいろんな風景も撮れるだろうが、自分の場合、そうもいかない。 でも、それも選んだこと。何回も見る風景の中から、何かを紡ぎだす、…
ちゃんと、やろうとしているのだ。一応。 やれば、また問題が見つかる。見過ごしてきたことに気づいたということは、 少し自分が広がった、ということかもしれない。NHK FMで “チャットモンチー” の番組を聴きながら、机に向かってあれこれやる。 がんばって…
Peter Pukulus 「One and a half meter」 Juergen Teller 「THE MASTER」 以上、2冊の洋書、写真集。そしてCD、山下達郎ベスト 「OPUS ALL TIME BEST 1975~2012」個人的には、忙しくて時間がない毎日でも、これらのおかげで文化的欲求は満たされている。とく…
白は、見たい画を際立たせる。 美術館の壁、画集の余白。そして、雪の白は、目の前にいる人を舞台の上の人にさせる。植田正治の砂丘だって。あれは、舞台装置。 砂丘がなければ、植田正治の写真が、あのようなものにはならなかったろう。 自然が作った、舞台…
映画『ジョーズ』を観る。ケーブルTVの洋画チャンネル。これをつくったスピルバーグは今では尊敬の対象とは言えない存在になってしまったけど、 『ジョーズ』だけは、いい。もう何度観ただろう。登場する3人の対比や、物語の展開が魅力的。 伏線の張り方がわ…
作品を見てもらうには、初期衝動だけの表現だけではダメなのが、現代。ことばにならない衝動が作品としてカタチになるのは重要ことだけど、 作り手にもそれなりの自覚が必要とされる。僕も「ことば」が必要だと、作品を見せる際にはよく言われる。 でも、予…
いつもと違う通りを行けば、また違った何かが見えてくる。その通りは、撮れば良い写真になるのか? どうなのか? 撮れたとして、果たしてどんなものになるのか?自分の中の「いつもと違った気分」が、撮る対象なのか、または「違った空気が感じられる場所」…
プライヴェートな時間の中での眺め・・・ではあるけど。1枚の写真になってしまえば、どんな種類の時間に撮られようと、関係ない。 一歩、部屋を出れば、それは写真にとって、すべて等価な世界。 距離ではない。私の生活の一部として撮るのか、逆に世界の側か…
夏の終わり。遅ればせながら、家の裏庭の朝顔が咲きだした。 古い種だったから、あまり育たず、もうこれ以上は無理かと思いかけていた矢先につぼみが開いた。 愛着が湧く。 毎朝、水をあげる。余裕があれば、まわりの草をむしる。 小さくても庭のある、マン…
慣れ親しんだかどうなのか、期間としては永く住んだ街。 そこに、どれほどの意味や重みがあるのかなんて、判らない。はじめから、「京都」という言葉に、意味は求めてなかった。 たぶん求めてきたのは、「風景」であり、日常の「くり返し」なのだと思う。 だ…
頭の中が、ぼんやりとした日曜日。 一乗寺の恵文社で、マイロウィッツ(Joel Meyerowitz)の『A SUMMER'S DAY』の古書をみつける。\3150なり。購入。表紙はこんなの。 社会性のうすい写真は、軟弱なのかしら? 今後しばらく、考えてみようと思う。
「日な日な余波は華やか歩く」というのは、 息子がキーボードを打って、たまたま出来た言葉です。偶然とは言え、とてもきれいな音と字面だったので、 ここで使用しています。とくに意味はありません。
友人・知人ではなくて、他人なのだけど、街でなぜだかコトあるごとに見かける人がいる。 昔よく行ったお店の店員だった人。今はもう、そのお店はない。僕の記憶にたしかにその人は残っている。だから見かけると「あ、また」と思う。 そして気になる。 まるで…
劇団大人計画主宰の松尾スズキ氏は、新たに加わった劇団員にはまず、 「恥ずかしい」ということを覚えてもらう練習をすると、どこかで聞いたことがある。表現するというのは、だいたいにおいて、自己中心的な行為だから、恥ずかしい。 写真を撮ることだって…