日な日な余波ははなやか歩く

週1~2回くらいのペースで、ここで写真展をやってます。「繰り返し」と「凡庸」は写真と人生の本質です。

2020-03-01から1ヶ月間の記事一覧

今年の桜。

お昼過ぎ、外に出て近所の桜を撮った。 同じように桜見物しながらすれ違う人たちがマスクをしているのかどうか、知らず知らず気になりながら、シャッターを切った。 家に戻ってからは、靴を洗ったり、ゴミを処分したりして、バリバリ用事をこなした。

明日の休みは、桜を撮ろうと思う。

住んではいるけど、京都ブランドみたいなものが嫌いな僕は、京都を綺麗に撮ろうとする写真家も写真も好きではない。むしろ嫌いだ。 何が嫌いなのか? と言えば、ただ写真というイメージを追随するだけの行為をバカバカしく思うからだ。そう僕には見えてしま…

無題 ( 2020 . 3 . 22 ) 

文化的な生活、それがどうした?

時々、素になる。 毎日、何をやっているのか?・・って。 でも、そういうのって、あるでしょう? 年を重ねると、日ましにそれがつきまとう。 本当に、それはそれでもあると知っているから。 それを言っちゃあ、おしまいよ、なんだけど。否定もできない覚めた…

無題 ( 2020 . 3 . 15 ) 〜 映画『鏡』〜

続けて、タルコフスキーの『鏡』を見る。今度で5度目くらい。好きなのだ、この映画。 何が好きか、いい加減、自覚しないといけないと考える。 理由 その1. 画面の色と質感、光と闇が好き。 理由 その2. 大人の苦い記憶や幼少時の感傷的体験がモチーフとなっ…

無題 ( 2020 . 3 . 14 ) 〜 映画『魂のジュリエッタ』〜

午前3時に目が覚め、録画したフェデリコ・フェリーニの映画『魂のジュリエッタ』を見る。 一度は見てピンとこなかったのに、二度目はしっかり自分の中に入ってくる。 どこかしら馴染めない画質も色も今度は素直に受け入れることができた。 下の写真は途中ト…

絵にしないと見れないのか。

「絵」として撮り、そして扱えば、見る側、見せる側は解りやすいし安心もできる。 お手本的に上手な写真を完成させようとは思っていない。 不安は不安としてその状態のまま成立する力量が僕にも欲しいものだ。 できる限り自らの労力を払い、苦労の果てに気が…

無題 ( 2020 . 3 . 8 ) 

悔しいくらい青い空。

「今日は悔しいくらい青い空で」というのは古今亭志ん生のセリフ。 コロナウィルス騒ぎが止まらない今日、先日買ったラジオを聴いたりしながら家で過ごす。 午後になって外に出てみれば、空は青く霞んでいる。 歩きながら、人間の滅亡って今のような状態が引…