2012-01-01から1ヶ月間の記事一覧
人見知りな上に、口下手な僕は、自然、コミュニケーション下手である。物心がつきだした頃から、そんな時間を過ごして来た僕には、現在もその性格に、往生している毎日だ。 それは、本当につらいことで、そこから生まれる罪悪感に落ち込むことも多い。このこ…
上は、たぶん、3年前の写真だ。実際の本番写真は、フィルムで撮っている。 1枚、いいのが残ったのだけど、撮った時にいいかもと思ったのは、よくハズレる。頭で撮った写真は、大抵、すぐ飽きてしまうことが多い。 自分の心に収まるくらいのものは、どうもよ…
むかし読んだ松本零士の『銀河鉄道999』の中に、「沈黙の聖地」というタイトルの回があった。 写真を撮ろうと行動している時、そのタイトルが何となく頭の中のどこかに思い浮かんでいることがある。写真のあやうさは、その作業のお手軽さにある。 ストロボセ…
その日にあったことが風景に写り込んで見えるはずはないのだが、自分自身にはその日の出来事の後味みたいなものが、写っている気がしてしまう。写真は見る人にとって、「鏡」のような存在にもなる。そうして、時間に流されていく写真と、残される写真。道は…
心の中に漠然とした何かがある時、とりあえず言葉をならべたてるより、この画面の中で「画(え)」を飾る方がよほどよい気がする。自立した言葉があるならいいけど、モヤモヤを解消するためだけの言葉なら、結局、どうにもならない。 よい言葉を見つけ、作り…
ティルマンスのこのインスタレーションは、かっこいいという単純な話だけではなくて、作家の世界観の現れとしてこうなっているわけですが、そこで思うことは、こうしてその展示風景を写真で見る時に1枚1枚の写真がタッているということ。 つまり、写真が群れ…
「Freischwimmer」とはドイツ語で、「フライシュヴィマー」と読むそうで、「泳ぎ出るもの」という意味だということです。これは、作品を直接的に説明するものではなくて、自由や独立などの意味を含ませ、なおかつ言葉の響きの良さから、ティルマンス自身の望…
言葉による説明がない写真は、見る側がどう受け取ってもかまわないということ。 そのうちのひとつの解釈として、「わからない」ということも含まれる。 それが、どう「わからないのか」によって、よい意味、悪い意味、いろいろある。やはり写真は言葉無くし…