日な日な余波ははなやか歩く

週1~2回くらいのペースで、ここで写真展をやってます。「繰り返し」と「凡庸」は写真と人生の本質です。

2012-09-01から1ヶ月間の記事一覧

お金と時間

Peter Pukulus 「One and a half meter」 Juergen Teller 「THE MASTER」 以上、2冊の洋書、写真集。そしてCD、山下達郎ベスト 「OPUS ALL TIME BEST 1975~2012」個人的には、忙しくて時間がない毎日でも、これらのおかげで文化的欲求は満たされている。とく…

white

白は、見たい画を際立たせる。 美術館の壁、画集の余白。そして、雪の白は、目の前にいる人を舞台の上の人にさせる。植田正治の砂丘だって。あれは、舞台装置。 砂丘がなければ、植田正治の写真が、あのようなものにはならなかったろう。 自然が作った、舞台…

untitled. 9/16

いつも、隣りに何かいる。

作品を読み解く

映画『ジョーズ』を観る。ケーブルTVの洋画チャンネル。これをつくったスピルバーグは今では尊敬の対象とは言えない存在になってしまったけど、 『ジョーズ』だけは、いい。もう何度観ただろう。登場する3人の対比や、物語の展開が魅力的。 伏線の張り方がわ…

何か、ことばを。

作品を見てもらうには、初期衝動だけの表現だけではダメなのが、現代。ことばにならない衝動が作品としてカタチになるのは重要ことだけど、 作り手にもそれなりの自覚が必要とされる。僕も「ことば」が必要だと、作品を見せる際にはよく言われる。 でも、予…

通りを行けば

いつもと違う通りを行けば、また違った何かが見えてくる。その通りは、撮れば良い写真になるのか? どうなのか? 撮れたとして、果たしてどんなものになるのか?自分の中の「いつもと違った気分」が、撮る対象なのか、または「違った空気が感じられる場所」…

個人と世界との線引き

プライヴェートな時間の中での眺め・・・ではあるけど。1枚の写真になってしまえば、どんな種類の時間に撮られようと、関係ない。 一歩、部屋を出れば、それは写真にとって、すべて等価な世界。 距離ではない。私の生活の一部として撮るのか、逆に世界の側か…

9月へ

夏の終わり。遅ればせながら、家の裏庭の朝顔が咲きだした。 古い種だったから、あまり育たず、もうこれ以上は無理かと思いかけていた矢先につぼみが開いた。 愛着が湧く。 毎朝、水をあげる。余裕があれば、まわりの草をむしる。 小さくても庭のある、マン…