ベッヒャーのようなタイポグラフィー的作品は、価値こそあるのかもしれないけど、
やってて面白くない。飽きてしまうのだ。
僕は。
あそこまで、ストイックにキチンと自分の中にも、外にも、理由を見つけ出して、全うする。
それは、才能以外の何ものでもない。
現代美術とはそんなもの。すごいね。
でも文脈とか何だとか以前に、もっと普通のことの中に重要なことがある気がしている。
田舎の農家に生まれた僕は、そう考えている。
忙しい日常の、切羽詰まった日々の中で、ふと帰り道に見上げる空。
絵画のような雲が浮かんで、黄色い光が青い空や緑の木々を印象深いものに変える。
例えば、そんなこと。
または、
雨上がりの庭に気味の悪いおぞましい形の虫が、ゆっくり動いている。
その虫と自分という人間との、差異。
そんなことが、実際の作品として形になるかどうかは別の話だが、
そのようなことから無関係ではいたくないとは思っている。