日な日な余波ははなやか歩く

週1~2回くらいのペースで、ここで写真展をやってます。「繰り返し」と「凡庸」は写真と人生の本質です。

文脈とは、無関係。








ベッヒャーのようなタイポグラフィー的作品は、価値こそあるのかもしれないけど、
やってて面白くない。飽きてしまうのだ。
僕は。

あそこまで、ストイックにキチンと自分の中にも、外にも、理由を見つけ出して、全うする。
それは、才能以外の何ものでもない。
現代美術とはそんなもの。すごいね。

でも文脈とか何だとか以前に、もっと普通のことの中に重要なことがある気がしている。
田舎の農家に生まれた僕は、そう考えている。

忙しい日常の、切羽詰まった日々の中で、ふと帰り道に見上げる空。
絵画のような雲が浮かんで、黄色い光が青い空や緑の木々を印象深いものに変える。
例えば、そんなこと。

または、
雨上がりの庭に気味の悪いおぞましい形の虫が、ゆっくり動いている。
その虫と自分という人間との、差異。

そんなことが、実際の作品として形になるかどうかは別の話だが、
そのようなことから無関係ではいたくないとは思っている。