日な日な余波ははなやか歩く

週1~2回くらいのペースで、ここで写真展をやってます。「繰り返し」と「凡庸」は写真と人生の本質です。

切りとった、並べた。





休みの日など、空いた時間の行動パターンは、家族といると、どうしたって似てくる。

仕事がいろんなとこへ行く人なら、数々のいろんな風景も撮れるだろうが、自分の場合、そうもいかない。
でも、それも選んだこと。

何回も見る風景の中から、何かを紡ぎだす、それが自分に合った方法だと思っている。
子どもといっしょの休日なら、それだって十分な風景だと思う。

ただ、幸せが「いい」とは思ってない。
もちろん、不幸は嫌なのだけど、写真に写ること、それは私の幸せの切り売りではない。
むしろ、私のことなど、どうでもいいのだ。
その時間に沿った中に見える「何か」に寄り添いたいだけなのだ。

だから、冷酷だという面だってある。
画の中には、エピソードではなくて、画=現実が横たわっているだけと思っている。
それ以上でも、それ以下でもない。