休みの日など、空いた時間の行動パターンは、家族といると、どうしたって似てくる。
仕事がいろんなとこへ行く人なら、数々のいろんな風景も撮れるだろうが、自分の場合、そうもいかない。
でも、それも選んだこと。
何回も見る風景の中から、何かを紡ぎだす、それが自分に合った方法だと思っている。
子どもといっしょの休日なら、それだって十分な風景だと思う。
ただ、幸せが「いい」とは思ってない。
もちろん、不幸は嫌なのだけど、写真に写ること、それは私の幸せの切り売りではない。
むしろ、私のことなど、どうでもいいのだ。
その時間に沿った中に見える「何か」に寄り添いたいだけなのだ。
だから、冷酷だという面だってある。
画の中には、エピソードではなくて、画=現実が横たわっているだけと思っている。
それ以上でも、それ以下でもない。