日な日な余波ははなやか歩く

週1~2回くらいのペースで、ここで写真展をやってます。「繰り返し」と「凡庸」は写真と人生の本質です。

平均点を求める

草野球をやったり、井戸端会議に参加したり、他人の冠婚葬祭に気持ちが高揚したり、
例えばそんなことに、うまく参加できる人がうらやましい。

それを「人生の平均点を採れる」人とすると、全くそれがない「私」という人間。
如何なものかと、最近、思っている。

世間とかけ離れた場所で、ひとり黙々とやってるのは、やっぱり寂しいものだ。
そんな寂しい思いをしてまで、自分のやっていることは価値あることかと言えば、そんなのわからない。
だって、まだ道の途中だもの。
それが簡単にわかるくらいなら、苦労はしないよ、という話で、やっぱり「人生の平均点」なんて、幻想なんだと、思い直す。

ともかく、今やってることを投げ出すことはできないなあと、考えが一周するとこで、今日はおしまい。