日な日な余波ははなやか歩く

週1~2回くらいのペースで、ここで写真展をやってます。「繰り返し」と「凡庸」は写真と人生の本質です。

映画と、写真。

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今朝は京阪宇治駅から。

到着してもまだ夜は明けないので、紫式部像の横で時間をつぶす。10,585歩で211カット。

 

最近は電車を乗り継ぎしないと、夜が明ける前に自分の「範囲外」の街に行けない。

1年前と比べると、自分の中の「近所」の範囲が広がってしまった。

夜明けに「京都」を撮影する『name is kyoto』シリーズの写真も幾らか枚数がたまり、作品としての濃度も増してきた。

シリーズ全体のバランスを整えながら、あともう少し続ける。

 

 

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人を世界の中心に捉えたくはない。

写真で人のドラマを表現しない、絶対に無理。人を食い物にはしない。

映画には時間と言葉と音がある。それによって狙いが定まる。

写真の本質にはそれらのことが無い。そこが良い。

音のない止まった時間。

「在る」とか「居る」とかを写すのが、等身大の写真。

根拠のない過剰な表現はしない。

 

 

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