日な日な余波ははなやか歩く

週1~2回くらいのペースで、ここで写真展をやってます。「繰り返し」と「凡庸」は写真と人生の本質です。

暮らしの時間の探しもの、4

平坦で、凡庸な風景のつらなりが続く。
フィルムで撮るのと、デジカメで撮るのとでは、何かが違う。

もう1年くらい、新たなネガのプリントをしていない。撮って現像したネガは、たまるばかり。
本をつくるのが一段落したら、まとめてプリントをしようと思っている。

やっぱり写真はしばらく寝かしてから、発表するのがよい。

ホンマタカシ氏が大竹昭子さんとの対談で話ていた言葉に、偶然撮れた良い1枚より、凡庸に撮れた100枚の中からの1枚の方がよい写真だと思うという意の発言は、とてもよい言葉だったと思う。

今日は、ごく普通の日曜日。
子どもを相手にしていると、ちょっとした買い物も、公園での遊びも、お風呂も、ご飯も、掃除も、ひとつひとつが色鮮やかな時間で、こういう時に撮れた写真というのは、どう写っているのだろうと今も静かにワクワクしている。

撮ったのは自分の気持ちとは関連のない風景ばかりだったけど、気持ちは高揚していた。
高揚した上で、客観的に自分なりの試みをしてみた。
フィルムとデジタルに対する考えと眼の使い分けをしながら、それぞれ別々のものを撮ってみた。

それは、「希望」と「あきらめ」みたいなこと。