日な日な余波ははなやか歩く

週1~2回くらいのペースで、ここで写真展をやってます。「繰り返し」と「凡庸」は写真と人生の本質です。

1日を、どこまでやって終えるのか?

共感するにも、気力・体力がいる。
好きなものならば心地は良いが、苦手なものなら倍につかれる。

自分の中のどの部分が発端で、それが受け入れがたくなるのだろう?
振り返って自らのやっていることとは何が違うのだろう?

わからないまま、言葉も出ない状態が続くと、その場を立ち去る気力さえ起らなかったりする。
苦手の範囲が広すぎて、好きの範囲が狭すぎるのだろうか?