日な日な余波ははなやか歩く

週1~2回くらいのペースで、ここで写真展をやってます。「繰り返し」と「凡庸」は写真と人生の本質です。

「田舎写真、その他」の続き












こうやって冬の寒い田舎の風景の中を、独りトボトボ歩いて写真を撮っている人というのは寂しい人間に間違いないだろう。そう自覚している。とは言え、撮っている本人は寂しいことを嫌っているわけでもなく、むしろ心地よく思っているのだから、このような撮影は成立する。

そして写真になってしまえば、それはその1枚という単体で目に入る。撮っている人の最中の感覚というのは、たいして伝わらないらしい。つまらないものはつまらない。

カメラのレンズというのは平等で、撮っている現場も平等だ。理屈だけで言えば、自由こそが写真の良さだ。

アジェのパリと何が違うのか。