日な日な余波ははなやか歩く

週1~2回くらいのペースで、ここで写真展をやってます。「繰り返し」と「凡庸」は写真と人生の本質です。

見えない自然。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昨年の秋に田舎で撮った写真を選んで並べてみた。

 

 これを書いている今、水木しげるのドキュメンタリーを見てる。 パプアニューギニアを訪ねる1996年の番組。 現地の人々が自然の世界と精霊を水木しげるに体現し見せてあげる。  続けて、遠野を訪ねる2010年の番組も見る。 遠野の人々が自然と神様への信仰の営みを水木しげるに見せてあげる。 

 

 目に見えないものを感じる土地。 パプアニューギニアの人たちが暮らす世界と時間を想像すると、それはそれは凄いことのように感じる。 たぶん見ている風景がまったくの別世界。

 

 もう自分には、自分の中の自然を揺り起こすことはできないだろうと思う。 いやまったく、何に対して毎日自らの心をくたびれさせているのか、どれほどビクビクして生きているのか、本当にバカバカしくなる。 自然の有り様に自分を委ねたいがために、先のような写真を並べたのだろうと思う。 森や湖は、僕に何もしてくれないけどね。

 

 「型にはめてしか物事を知ることができない」というのは、どうしようもないほど才能が無く、そして自らが持っていた自然を失っていることなのだろうと思う。