日な日な余波ははなやか歩く

週1~2回くらいのペースで、ここで写真展をやってます。「繰り返し」と「凡庸」は写真と人生の本質です。

毒がなけりゃあ。

たしか、午前2時過ぎに布団から出たと思う。

部屋で机に向かって、

執筆作業を一からやり直しする。

三歩進んで二歩下がるみたいに文章を書き進めていくが、

辞め時が見つからず、

出かける時間ギリギリまで作業する。

 

午前4時からは撮影に出かけるが、何の心の準備もできないから、

何となくボンヤリと歩き始める。

↑(以前、仕事でお世話になったことがある「彩雲堂」の開店前の風景。 僕の相談をご主人が快く受けてくれた。)

一度、外に出れば、逃げて帰る訳にはいかない。

豪雨でもない限り、今日のところは辞めとこうというのはダメ。

根気強くやれば、そのうち何とかなったりするものだ。

結果、今朝は286枚の写真を撮った。

 

しかし、通りを曲がると突然「鉾」が目に入ってきた時にはびっくりした。

もうすぐ祇園祭だったことを、すっかり忘れていた。

 

基本僕には他人事なので、ほとんど素通りするが、

3カットだけ「鉾」の先っちょを撮ることにする。

でも、この写真をどうこうする気もない。

突き抜けて普遍的に京都という街を撮るのは仕方がない(?)が、

祇園祭を写真で特筆するのは、どうにも気が進まない。

分かりきったことを上手な写真に仕上げることが

僕には、もう他人事なのである。

ローカル性も客観しなけりゃ、

自分の中に意味が生まれないのである。

 

僕は写真の「謎」を楽しんでいるのだから、

本来持っている表現の自由さを感受できない人たちの思い込みには、

いつまで経っても、辟易とさせられる。

お題目ありきの写真は、僕にはあり得ない。

 

今日から三連休だというのに、祇園祭だというのに、

素直に物事を楽しめない不幸というのか、

自分の持つ素直さが裏返って、他人様の楽しみに水をさすというのか、

たぶん悪気はあるのだけど、悪気がなけりゃ、毒がなけりゃ、

この世は本当につまらなくなる。

 

僕はいつだって少数派なのさ。