慣れ親しんだかどうなのか、期間としては永く住んだ街。 そこに、どれほどの意味や重みがあるのかなんて、判らない。はじめから、「京都」という言葉に、意味は求めてなかった。 たぶん求めてきたのは、「風景」であり、日常の「くり返し」なのだと思う。 だ…
頭の中が、ぼんやりとした日曜日。 一乗寺の恵文社で、マイロウィッツ(Joel Meyerowitz)の『A SUMMER'S DAY』の古書をみつける。\3150なり。購入。表紙はこんなの。 社会性のうすい写真は、軟弱なのかしら? 今後しばらく、考えてみようと思う。
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