日な日な余波ははなやか歩く

週1~2回くらいのペースで、ここで写真展をやってます。「繰り返し」と「凡庸」は写真と人生の本質です。

テレパシー





文章とは何か、もちろんテレパシーである。スティーブン・キングは言っている。
明解な回答だと思う。多少、予想外な感じもする。
明解すぎて。

その明解さを、もっと自覚しなければならぬと、自分に言い聞かせる。
たぶん文章という言葉を、写真に置き換えても同じことだから。
もっともその答えは、テレパシーとは微妙に異なるかもしれないが。

いい写真は撮りたいといつも願ってはいるが、いい写真でしょ、と相手に見せるのは違う。
写真においてメッセージなどは後付けのことではあるが、かと言って、そこにある写真は空っぽの代物でもない。
何かあると思うからこそ、相手に見てもらおうという気にもなるわけだ。

その辺の見極めは、いつも難しい。
失敗などはめずらしいことではない。つらいものだと思う。

部屋の床には、今も並べられた写真がある。
出かける際、帰宅した際に横目でそれらを眺める。
たぶん、いいと思う。そう予想する。
しかし、人がそれを果たして良いと思うのか。見るだけなら害もないだろうが。
もちろん、それ以上を僕は望みたい。そう願う。

はやく、次の写真をプリントして、そこに加えたいと思う。
ちなみに上の2枚の写真は、それとはまったく関係ありません。

小説作法

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