日な日な余波ははなやか歩く

週1~2回くらいのペースで、ここで写真展をやってます。「繰り返し」と「凡庸」は写真と人生の本質です。

森と骨、その2







 森の日陰に踏み入ると頭蓋骨が転がっていた。はあ、そうか、と思った。その骨は前に見たのと違って黄ばんでいて、生々しさはなかった。
 以前に出会った骨は、そこに倒れた瞬間が想像できるくらいに新しく、洗ったように真っ白な鹿の全身の骨で、確かに生きていたという感触が残っていた。そして今目の前にあるのは、それより少し古びた骨。それに向かって僕は三脚を立て、落ち着いてシャッターを切った。

 他にも地面にばらけた体の骨の間を通り抜けて奥に進むと、今度はぬかるみに足をとられた。あわてて次の歩を出し、埋まった方の足を抜き、数歩歩いて、近くの倒れた木に乗っかった。両足とも足首まで泥だらけになってしまった。落ち着いて辺りを見渡すと周りは同じようなぬかるみが続いていて、さてどうするかとしばらく考える。細くなる木の先をつたってもとの所に戻るかと考えてはみたが、どうしても無理に思えたので、反対に木の根の方向に向き直り少し離れた草の生える場所に飛び移ることにした。そこから草の生える少し固い地面に沿って、山の斜面になるところまでたどり着くことができた。
 
 そこは昔田んぼだったのかもしれない。見た目以上の湿地帯では、他にも木が根もとから抜けて倒れていた。そしてその木の表面も濃い緑の苔に覆われている。大きくなった木も倒れるほどだから、とどのつまり、陽が地面にまで入り込むような森になったのかもしれない。いずれにせよ、道路のすぐ横にこんな雰囲気を持った場所があったのは驚きだった。慌てたからか、少し方向感覚を失った。泥だらけの足のまま、もうしばらくカメラのシャッターを切った。苦労に比例してこそ良い写真は撮れるのかどうかは分からないが、多少の満足感はあったし、興奮もした。