日な日な余波ははなやか歩く

週1~2回くらいのペースで、ここで写真展をやってます。「繰り返し」と「凡庸」は写真と人生の本質です。

続、無意味の意味









写真を撮り続けているからには、自然に、それなりに、写真の事を考えることになる。
結局、写真とは何なのか?

とりあえず、今のところ、
空っぽなんだ、自分にとっての写真は。その空っぽさに意味があるのだと思う。それは目の前の日常と同じ。

人間本位に考えると、人間はいろんな問題に直面している。実際、そういうことを写真で取り扱っている人もたくさんいる。だけどそれはそれ。僕はあんまり人間中心にこの世界を見ないほうがいいと思っている。
自然の中の一部としての人間、そういう認識の先にこそ未来はあると思うし、それこそが平和に暮らせる唯一の道だと思う。
日常レベルに置き換えて考えてみると、自分中心の振る舞いだけで周りは思い通りに動かないというのと同じ。

話を写真に戻す。
たくさん撮り続ける中での1枚の写真に、すとんと腑に落ちるような気持ち良さが生まれたりすることがある。言葉でうまく現すことができないほど些細なことなのだけど、その「間」のようなものの中に何らかの価値が存在すると僕は感じている。

あと、複数の写真を組み合わせることによって、ふわーんと何か別の感触が生まれたりもする。それもおもしろい。

どうしようもないほど空虚な現実、それをそのまんま、かたちに現わせることができるのは写真しかないのではないか。
だから写真は、他の手法のように、一から創り出すものとは違う。

今のところ、そんな感じ。