日な日な余波ははなやか歩く

週1~2回くらいのペースで、ここで写真展をやってます。「繰り返し」と「凡庸」は写真と人生の本質です。

続、きのう、きょう。

昨日の午後は、久しぶり東寺界隈を撮る。

 

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自分の生活圏外だから風景に馴じみはない。

20代の頃「みなみ会館」に映画を見に行ってはいたが、それくらい。

みなみ会館は渋めの映画を観れるから好きだった。

写真を撮り始めてからというもの、映画館からは縁遠くなった。

みなみ会館は今では場所も変わり新しくなったらしい。

 

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今日の午前にビクトル・エリセの『ミツバチのささやき』を観たのだけど、そういえば、このみなみ会館でその後の作品『マルメロの陽光』を観ている。

肝心な代表作を観てなくて、後先が逆になってしまった。

 

映画『ミツバチのささやき』は、とても良かった。

余分なトリックがないから、見る側の想像力は膨らむ。

画と画のつなぎ合わせで、事の次第を理解する。

女の子「アナ」を見入ってしまう。

 

とくに、今の自分の気分とリンクしたのは、薄暗い青の画面。

映画ではあのような色が存在する。不思議に写真で見る色合いとは違う。

古い家の壁やドアと、灰色に広がる空、それと広い土地。

単調ながらも時間の深みがある。

画と言葉で映画は表現されるから、あのような色合いが成立するのか。

35ミリだろうけど、自然光を生かしたフィルムの粒子の荒さがそうさせるのか。

 

フィルムが持っていた特性は一体どんなものだったのか、実感として今はもう忘れ去られようとしている。

過去の映画による成果を見ることはできても、今から可能性を試されることはないだろう。

 

本来、映画を作るというのはいつだって新たな試みだから、もう二度と再現できないけど、何故かその時にはできてしまったということもあったはず。音楽のセッションみたいなことが。

 

でも冷静に考えれば、それがビクトル・エリセの作風であり、画の中に署名が刻み込まれているということか。静けさだけではないわけだ。

 

 

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このところ自分の関心ごとと、見るものがリンクしている。

なんだか巡り合わせが良くて、刺激的だ。

調子がいい今のうちに、できる限り勉強しとこうと思う。

 

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