日な日な余波ははなやか歩く

週1~2回くらいのペースで、ここで写真展をやってます。「繰り返し」と「凡庸」は写真と人生の本質です。

自分の眼。

 

 

 

 何のお店か確かめなかったけど、窓ガラスの向こう、干したタオルの横にエゴン・シーレの絵を見つける。 エゴン・シーレは若い頃興味があって、部屋には画集もある。 その本はケースに入ってて。結構高価だった。 今では紙も黄色く変色していることだろうけど、本は財産だからずっと持っておく。 

 僕の脳裏には、図書室のような空間に身を置いて過ごすという風景が、うっすら浮かんでいる。

 

 まだ暗い夜明けのお店に黄色い灯りが灯っていると、カメラを持った自分は自然と中をのぞくことになる。 

 おしゃれに完璧にディスプレーされたお店は、それ自体が他人の作品のようなものだから、撮っても僕の写真にはならないので素通りするが、反対に何かスキのようなものがあるお店などは、好んで撮る。 そのものの記録というよりは、街の風景の断片として撮る。 

 

 とりあえず何が良く写るのか、撮ってみないとわからない。 撮ってみて妙な生々しさが写真の中にあったりすると、とても嬉しい。 それこそが写真っぽいと思える。

 

 

 

 

 

 

 連休の初日。 今朝撮ったのは、137カット。 思った以上に量が少なかった。 夜が明けた後の光があまり好みではなかったのかもしれない。 粘って撮影を続けることができなかった。 それに加えて、内容も良くなかった。 大丈夫、またやろう。

 

 今日はやらなければならない用事もなく、写真に集中できる。 街に出て、好きなレコードや本も探すことができる。 他人の価値に合わせる必要はない。 やりたいことをやろう。