日な日な余波ははなやか歩く

週1~2回くらいのペースで、ここで写真展をやってます。「繰り返し」と「凡庸」は写真と人生の本質です。

誤魔化せない人たちのおかげで。

 

 

 

 今日からしばらくの休日の始まり。 晴れて自由の身。 

 

 昨夜のお酒の席は程々の時間で終わり、帰り道のコンビニで買ったミルクレープを前に、部屋でこたつに入って独りお疲れ様の時間を済ます。 感慨も何もない。 

 

 

 朝、4時24分に目が覚める。 起きて、身じたくし、5時になるまでに家を出る。 京阪電車を三条で地下鉄東西線に乗り換え、終点・太秦天神川駅に降り立つ。 まだ陽は昇ってない。

 

 今朝は、京福嵐電の線路沿いを歩き、撮影してみることにする。 

 ビートルズブルース・リー。 撮り始めは良かったのだけど、大映通り商店街に入ったあたりからは、まったく奮わなくなる。 心の隅っこでは、「京都幽霊マンション」がどのあたりにあるのかも気にはなっているし。 でもこれでは「二兎追う者は一兎も得ず」なので、幽霊マンションは無視して、撮影だけに集中する。 

 

 

 

 

 その後は、住宅街や空き地に、駐車場。 単調な景色にも飽きて、そこから逃げ出すように移動しながら、しつこく撮っていくうちに、17,395歩を歩き、410カットを撮る。 調子がいいとか悪いとかではなく、とにかく「見えた」と思ったら、撮る。 その繰り返しが、結果そうなった。

 

 


  

 この休みの期間は、毎朝、撮影するつもりでいる。 録画して溜まっている映画も見るつもりではいるけど、それ以上に欲求湧いてくれば、自らのことを優先するつもり。 

 たしかに映画も関心事には間違いないのだけど・・・・あ、でも今朝、帰ってから 録画していた ETV特集『半藤一利「戦争」を解く』 を見たっけ。 

 

 「なぜ、戦争を終わらせるのは難しいのか?」 

 やっぱり、人間存在の動向というのは、最大の関心事だ。 それは創作の意思そのものにも大きく関わることだと思うし、その疑問は表現行為の土台になって然るべき事だとも思う。 

 

 でも、そんなことより、何よりも、今の状況を冷静に考えてみれば「怖い」の一言である。 創作のために世界が存在するのではなく、世界がはじまって人は生まれ、その途上で創作という自由が必要とされただけなのだ。

 そこで戦争ともなれば、創作のコンセプトも何も、あったものではない。 すでに人類は自らを絶滅できる手段を手に入れてしまって、この先、何がどうなるのか、さっぱりわからなくなっている。 やっぱり人の一生とは、単に暇つぶしなのだろうか。