日な日な余波ははなやか歩く

週1~2回くらいのペースで、ここで写真展をやってます。「繰り返し」と「凡庸」は写真と人生の本質です。

署名なき美辞麗句と理不尽への抵抗。

 

 

 今朝の京阪電車の駅にて、高級マンションのポスターに印刷された売り文句は、ステレオタイプの京都のイメージに現代人のセレブ欲を煽ったようなもの。 その言葉のセンスに、げんなりさせられる。 

 

 その後ホームに立ち、止まっていた始発電車のドアが開いて横並びのシートに座ると、向かいの壁には大学の宣伝ポスター。 そこに書かれた言葉は「くじけず あきらめず ひたむきに 夢は逃げない」。 

 うーん、こういうのも息苦しい。 「くじけて あきらめて なげやりに 夢なんてない はじめから」という反対の言葉が僕の頭に浮かぶ。 

 まあ、そこまではないにしても、自分はこういう言葉、つまり「ポエム的な美辞麗句」に対して抵抗がある。 ついでに言えば、表に出てくる曲しか知らないくせに悪口になってしまうかもしれないが、コブクロの歌なんかも苦手です。 ・・・ダメなんだ、本当に。

 

 高級マンションの売り文句と美辞麗句なポエム、会社だとか組織の言葉はいつも嘘くさい。 よくある「信じている」なんて企業の言葉はみんな実際には素通りしている。

 団体であるが故の、署名のない言葉。 そして見せかけの純粋さを装い、相手のがんばりを強要するような言葉。 こういうのが有効になってしまう今の日本って、何だか、ダメな気がする。

 お金や同調圧力の枠からうまく抜け出し、どうやって自らの自由を獲得するのか、それがこれからの本当の人の課題だと思う。  

 

 



 今朝の京都は寒かった。 

 京阪電車から阪急電車に乗り換えて西京極駅へ。 歩き出し、まだ暗い西京極総合運動公園を横切り西へ。 桂川に沿いながら路地に入ったり、川沿いを歩いたりして写真を撮る。 

 夜が明け始め、青い空に印象的な雲の濃淡、闇の中に光る青い河の流れ、道路沿いに立ち並ぶ建物と、大きな木。 

 上の写真のような木が邪魔だからと切られずに残され、そこに暮らす人と隣り合わせに時間が流れる。 そういうことに本当の人の未来と幸せを感じる。 私利私欲とお金の理由から始まる人間中心の暮らしは、人を自滅に追い込む。 馬鹿なお金持ちが一番タチが悪い。

 

 今日は五条から四条に向かって歩くだけでありながら、案外、いろんな景色を見つけることができた。 ただし、寒かった。 北の方角に広がる山々には白い雪が見える。 雪国育ちの自分ではあるが、寒さは体に堪える。 昨日は5回目のワクチン接種だったから、すでに肩も上がらない。 

 それでも撮影を休まないのは、悔しいからだと思う。 

大竹伸朗の言葉を借りれば、世の中の、そして他人の無理解から受ける理不尽さには、理不尽な量の創作をもって抵抗するのである。 何が出るかは自分にもわからないが、習慣的くりかえしの行為からは、自分の底に沈み込んだ何かは浮かんでくると思っている。 考え込んだところで、作品が良くなる訳ではない。   

 

 理不尽さには「畜生!!」で答える。  今の自分は、それだけなのである。

 

 






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