むかし読んだ松本零士の『銀河鉄道999』の中に、「沈黙の聖地」というタイトルの回があった。
写真を撮ろうと行動している時、そのタイトルが何となく頭の中のどこかに思い浮かんでいることがある。
写真のあやうさは、その作業のお手軽さにある。
ストロボセットも組まず、小さなカメラをひとつ首からぶら下げて、または三脚にのせて、うろうろしていて、結局何をやろうとしているか、本人ですらわからない、雲をつかむような作業をしているのだ。
これでは、まわりの人間から見れば、何をやっているのか、わからないだろう。
だから、たいがいの写真家は、プロ、アマ問わず、大げさに見せようとするのだと思う。
長いレンズをつけたり、なんだかんだして。
花や、野鳥など、わかりやすい被写体を選ぶのも、そんな理由からくるのだと思う。
写真は本来、あぶなっかしくて、不安定な作業だ。
その不安定さの中にこそ、写真がこれから持とうとする価値がある。
それは個々人で見つけ出し、つかみ取ろうとするもので、初めっからゲイジュツだ何だというものではない。
そうした時に必ず、自分のどこかに、その「沈黙の聖地」みたいなものがあって、そこで眼を使いながらも、見ているものに対して「耳を澄ます」ような作業をしている・・・・・という、そんなことが写真を撮ろうとしている時、僕の頭の中をグルグルと回っている。
日頃の自分の中の当り前になっている無意識を言葉にすると、こんな感じだということです。
そこで思い浮かんだのが、梅佳代。
この方は、そういう分野の最前線にいるうちのひとりだと思います。
妙にシリアスになろうとする女性写真家の中で、そうなってないところが、かっこいいと思います。
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