日な日な余波ははなやか歩く

週1~2回くらいのペースで、ここで写真展をやってます。「繰り返し」と「凡庸」は写真と人生の本質です。

できないものか?







撮れば、何でも写るのが写真ではあるけど、
それが全部いいものかと言えば、そんなことは全くない。

その点で、やはり差別的。
そう思わせるのは、人の心であり、我が身の心でもある。

鏡だと思う。

気持ちよさを優先すると、自然それは「かっこいい」になる。
「かっこ悪い」なんて以ての外である。

差別的なのは、人の性。

かっこ悪いのがかっこよく見えることはできないものか?と思う。
だって世の中には、かっこ悪いことはたくさんあるし。

そんなもの見たくねーよ、と言われれば、ああそうでした、と我に返る。

ああ、でもお笑い、例えば落語。
立川談志は、「落語は人の業の肯定」と言っていた。
確かに聴いてて辛くなる落語なんかもある。『一人酒盛り』とか。

かっこ悪さを肯定する、お笑いはそんな意味でもすごいと思う。
はて、写真は?もとに戻る。