日な日な余波ははなやか歩く

週1~2回くらいのペースで、ここで写真展をやってます。「繰り返し」と「凡庸」は写真と人生の本質です。

犠牲。







ジオラマのような風景。

ものの名前や意味を無視して、画面の雰囲気だけを見る。
何かが違えば、撮らない。

良ければ撮るのだけど、我ながら、「何が良いんだか」とも思う。

乗馬してる人や、ラジコン飛行機に夢中になってる人たち。
それを横目に、納屋を撮る。

誰も知らん顔。

自由というのは素晴らしい。

今日も我思う。
写真の犠牲になろう、自分一人ぐらいの人生なんて写真の犠牲になっても、どうってことはない。
ちゃんと家族は食わしてるんだし。