日な日な余波ははなやか歩く

週1~2回くらいのペースで、ここで写真展をやってます。「繰り返し」と「凡庸」は写真と人生の本質です。

闇か、光か。




















河をわたる。ピンと来ない。土手を上り、なだらかな段々の草地を進む。
考えないで、眺めることにする。目の前に山があり、木におおわれている。好きな部分に目がいく。
真正面、1体1の関係で撮る。
木々の枝の下に入り込むと、とたんに空気が変わった。耳に入ってくる音が違う。
正面に白っぽくて、枝がくるくると巻き上がった木が、他に混ざって1本だけ目立っている。奇妙な木だ。
どう撮るか迷った挙げ句、撮らずに通り抜け、他で違う何かを撮ってから(何を撮ったか覚えてない)、戻ってきた時に考えずにその奇妙な木を撮った。木陰の薄暗い風景の「全体」の中に混ぜ込んで撮った。

橋のところに戻って、次は反対の道を進む。
右には川、左には廃材置き場。奥に進むとプレハブの廃屋があった。山の斜面には小さなお地蔵様が2人いる。手を合わせてそして進んではみたもののさっきの山の雰囲気とは違う。振り返ると廃屋。「やっぱり、こっちだな」と思う。それは大袈裟に言えば、闇っぽい感じ。夜明けの森の隅っこが闇なのか、光なのか、はたまた暗いのか、明るいのか、そのどれでもないのか。
都市の人間臭さはひとまず置いておく。明るくもなく暗くもないその対象に自分自身が重なって、それまで見えなかったものがちょっとだけ見えてくれればと思う。