日な日な余波ははなやか歩く

週1~2回くらいのペースで、ここで写真展をやってます。「繰り返し」と「凡庸」は写真と人生の本質です。

辛くて苦しい小説をなぜ読むのだろう?










冬の入り口にさしかかった日曜の午後は、どうにもならない気分。ふだんでも日曜の午後はいたたまれないのに。
そんな気分を山下達郎のFM番組を聴いてまぎらわせてみるが、この方の音楽も結構切ないものだから、さらに深みにはまる。机のラジオを聴きながらのネガの整理を止めて、外に出る。

外はキーンと耳が鳴るように静か。なんてことだ。行く当てがあっての外出でよかった。靴とCDを買う。

さえない気分はともかく、いろいろの用事を済ました1日の終わりにもう寝ようと思い立ち、布団の中でレイモンド・カーヴァーの『熱』という小説を読み始めたら、これが辛くて苦しくて途中で止められなくなった。『熱』は、突然妻に出て行かれた2人の子持ちの男の話で、とてもしんどいものなのに、僕は何で好き好んで読んでるのだろう、不思議に思った。

小説だからまずは物語ありきだけど、カーヴァーの作品は簡潔でひねりの効いた丁寧な文章に惹かれる。訳が村上春樹ということもあって、その名前を20年くらい前から知ってはいたけど、ここ1年くらいでグッと入り込んでしまった。人としての在り方にも親近感を持てる。
とは言え、苦しい物語はどうあっても苦しい。この短編のように子供がからんでくる話には自分は弱い。たぶん映画の『蛍の墓』や『誰も知らない』なども、自分はもう二度と観ることができないと思う。

その小説の結末は決してハッピーなものではないのだけど、読後の気持ちは落ち着かせることができた。
明日のために寝た。