日な日な余波ははなやか歩く

週1~2回くらいのペースで、ここで写真展をやってます。「繰り返し」と「凡庸」は写真と人生の本質です。

音の無い風景









偶然、UAのラジオを聴いている。
誰も聞いていない音は鳴っていないのと同じか、という話題。ならば、誰も見ていない風景は無いのと同じなのか。

以前、平日の電車の車窓から見知らぬ田舎町を眺めていたら、線路脇きの小学校のグランドで、生徒の子供たちが体育の授業をやってる風景を見て感動したことを思い出した。
自分の知らない見えていない場所で、子供が学校に通い、帰る家があり、そこで宿題したり、ご飯を食べたり、おやすみと言ったりしているのを想像した。

世界は等しく生きている。写真を撮る意味はある。