日な日な余波ははなやか歩く

週1~2回くらいのペースで、ここで写真展をやってます。「繰り返し」と「凡庸」は写真と人生の本質です。

モノリス。

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先週の休みは田舎で法事があったので、身も心も自由な時間はほとんどなく、写真は帰路の駅のホームで撮っただけ。

 

そして、今日は休み。

昨日まで仕事が忙しく全く余裕がなかったから、会社から帰宅しての「身も心も自由」の感は、とくに高い。

そんなわけで天気がいい今朝のうちに、撮りに出かけることにした。

9,068歩歩いて、230カットぐらい撮影。

近頃は5時の始発電車に乗っても、6時前には夜が明ける。

完全に明るくなってしまうと、気持ちがシラケてしまうので、撮影時間は短かめになる。

少し、もの足りない。

 

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先日のNHKBSのアナザーストーリー『2001年宇宙の旅』の回はとても良かった。

現実の2001年を通り過ぎても輝きは消えないこの映画が、僕はめちゃめちゃ好きだ。

 

この特集番組の何が良かったか?

映画の中での地球外生命の象徴「モノリス」の試作品が出来た場面で、監督のキューブリックは、「単なるアクリルで出来た箱にしか見えない」と、やり直しを命じた場面だ。

タバコの箱の色をグレーにして、縦に長細く、そして薄っぺらくしただけのような物体を、どうやったら、地球外生命の象徴に見せるのか。

50年以上前の1968年。お客にスクリーンで現実の宇宙を見せるには、あらゆる意味での完璧なものに仕上げないと、この映画は成立しない。

結果が出るまでのキューブリックの不安とストレスを考えると、道のりは果てしない。

 

そこまで大掛かりではなくとも、この話はあらゆる芸術作品をつくるときの共通にある、解りやすいエピソードだと言えると思う。

風景を絵に描いて、何故、見る人が価値あるものと思えるのか、問題はそれだ。

 

作者の中にさまよい続ける無意識なる価値は、一つのマンダラ的価値をもつ「何か」になる。

サービス精神とモノマネだけでは、作品は作れない。

それだと思うんだけどなあ。

 

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