日な日な余波ははなやか歩く

週1~2回くらいのペースで、ここで写真展をやってます。「繰り返し」と「凡庸」は写真と人生の本質です。

ここではない何処か。

 

 

 休日、晴れて自由の身。 

 

 今朝は阪急「西京極駅から歩き始め、おおよそ東に向かって撮り歩き、最後JR京都にたどり着く。 歩数は13,403歩、撮った写真は342カット。 なかなか良い。 光の色が良い日は、いくらでも撮れる。

 もとから「京都を撮ってやろう」という気持ちは僕には無くて、そこが街である限りは、場所は写真にあまり関係しない。 むしろ、自らが新たな気持ちでいられることの方に気をつかう。

 ただ、自らに制約を設けないと撮っていてもキリがなくなり、また写真を見て頂く側も訳がわからなくなってしまう気がするので、とりあえず『京都』という地名をタイトルに入れることを想定して撮影している。 

 

 そんなわけで、今撮っている写真のシリーズタイトルは、

『 Somewhere not here / kyoto fragments 』(予定)

 

 次の個展では、ここでupしている写真、または、していないかもしれない写真、そして前回の個展の写真からも含めて作品を選び構成・展示しようと考えている。 

 だから先の展示では150点ほどの作品数になったのだけど、次はさらに作品点数を増えることになる。 そのまま地獄行きみたいなことになるのかもしれないが、自分としては、今はそうしなければ何もぶち壊せない心境であり、状況なのだと自覚している。 

 

 などと、予告のような事務的段取りの話になってしまうと、文章を書くのも面倒くさいなる。 写真をちゃんとした状況で見て頂いてナンボのはずなのに、なんかイヤ、こういう作業。  

 

 今はとにかく羽を動かし続けなければ、一向に空を飛ぶことなど無理なのだから、ひたすらキリもなく、アテもないけど、撮り続けている。 

 自分の根底にモゾモゾ動いている欲求に立ち返り作業するのは、言葉にならない一瞬だけの自由が味わえる。 そんな事なんだよね。 

 

 なんか、ずっと同じような事ばっかり書いている気がする。 自分という中身は一つだけなのだから、仕方がないのだけど。