日な日な余波ははなやか歩く

週1~2回くらいのペースで、ここで写真展をやってます。「繰り返し」と「凡庸」は写真と人生の本質です。

他所者の、立ち位置。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日の夕方から個展の搬入なので、今朝の撮影はとても無理でした。

 

 忙しいのにこの前に日曜は田舎に帰ったので、この平日は夜に朝に作品展示の最終準備で倒れそうな心持ちでした。なので、今日の写真は先週の残りです。

 個展の準備もさっきやっと目処がつき今は落ち着きはしたものの、ここまでくると自分の作品の良し悪しなど判断もつかず、自信があるのかないのか、いやその前に展示の仕方は正しいのか、何か思い違いはないか、など心配しはじめるとキリがない、面倒臭いなー、という気持ちもどこかにあったりして、ああ、始まってしまうんだなあ、いつまで経っても行動を起こすというのは大変だなあ、生きてるって何だか恐ろしいなあ・・・と意識がウロウロしてます。

 

 今朝の新日曜美術館は KYOTOGRAPHIE を特集してました。

ムニャムニャムニャ・・、僕には何とも言えません。やっぱり『京都』って感じなんやなあと思いました。

 ちなみに、僕の個展のタイトルは「 name is kyoto 」と京都の名前を使ってますが、DMにもコメントしたように、まず街がありき、そして写真がありきです。『京都』という看板は逆接的な意味合いで使用しています。

 今回の展示する作品の総数は156点で、そのうちからDMやチラシなどで使用した作品にはそれなりに「京都」が写り込んだ写真を使ってはいますが、それはそこから始めないと何が何やらわからないので、そういうことにしています。ですが、写真の多くは京都ならではというものを目的とせず、素朴に街のディテールを撮ったものです。ですので、いわゆる京都ものの写真とは似て非なるものです。

 

ぜひ、皆様にはご覧いただきたく、よろしくお願い申し上げます。

     

                       酒井一貴(サカイ カズタカ)