日な日な余波ははなやか歩く

週1~2回くらいのペースで、ここで写真展をやってます。「繰り返し」と「凡庸」は写真と人生の本質です。

言葉で表現するしかない難しさ。

 



 

 今朝は雨だと予報では知ってはいたけど、布団を出て出かけるまでの時間、部屋にいるうちに雨の音が聞こえだす。 ザーッだ。 

 

 さっき見た夢が悪かったのは、きっと自分の心の状態に起因するところが大きい。 そんなこともあって、今朝はパニック気味の脳内を休めるために、もう一度布団に戻って寝ることにする。 しばらく時間はかかったけど、気づかないうちに眠っていた。 目が覚めて、今度はスッキリ。 窓の外は青い光。 日の出の時間がずいぶん遅くなった。 もう6時半を過ぎている。

 

 再び布団を出て、今朝は写真を撮る代わりに、文章を書いた。 次回の展覧会のために各所に提出するであろう短いコメント文。 いつもの休日の今ごろの時間なら写真を撮っているけど、それと同じく、部屋の中だけど自然の光のみで文章を書いてみる。 個展の開催は来年4月後半。 少し気は早いけど、今のうちに書いておく必要を感じてはいた。 

 

 言葉で読む人の心を打ちのめしたい、いつも気持ちはそう思っている。 

 

 単なる「上手に撮れました」的な「写真作品展示会」では終わらせたくない。 出来上がった作品世界を見ようが見てもらえまいが、そのことだけは知ってもらいたい。 僕の中にも不満はたしかにある。

 ただし、書くなら力づくの文章ではダメ。 自分の意思を研ぎ澄ませ、自分にとっての写真行為の模索とは何なのかを思い起こして、冷静に、極力、曖昧さを無くして書くことを目指す。 

 

 もともと写真とは曖昧なものであり、僕の写真に写っているものはそのままなものが多いので、見る人の目には散漫でありふれたもののように映ってしまう。 はじめから感性のない人を相手にしても仕方がないとは思ってはいるが、創作物というのはいつも虚空を仰ぐという、そのことを楽しめない限り、本当の話は前に進まない。 しかし創作以前に感じる常識的「理不尽さ」というものにも反発はある。 何とかしたいと、無駄に抵抗する。 

 

 今、「暗闇の中を走るのが人生」という言葉がTVから聞こえてきた。 安藤忠雄の声。 

 

 そうさ、もがいてこその人生。 何もかも分かったかのように生きていると、あっという間に年老いて、人生終わってしまう。 

 

 

 

 

 


 今朝の更新に新しい写真が何もないのが嫌だったので、さっき裏庭で数枚の写真を撮った。 それとついでに、先日買ったピカソの本を撮ってみた。 

 

 netで見つけて、すごくそそられたので、お金もないのに買ったのだけど、絵を描いた紙や鉄板を切って立体にした作品や、逆に紙や鉄板を切ったものに絵を描いて立体にしたりなど・・・(たぶん)・・・そういう作品を集めた、よくある名作絵画を集めた画集とは違う面白さがある本です。 刺激的!。 

 

 

 今日は午後に出かけて、写真を撮ることにします。