日な日な余波ははなやか歩く

週1~2回くらいのペースで、ここで写真展をやってます。「繰り返し」と「凡庸」は写真と人生の本質です。

今日という時間の密度。

 

 

 

 

 

 文章も一旦書き出すと、書いたことに収集をつけなきゃいけないので大変だ。 ただ、生きる上で自分の中から出てくる問題や課題をどうクリアしていくのか考えるのは、それは自然な流れである。 何もせずにはいられない。 ひとりの人間として。

 

 

 

 

 今日お昼に初めて入った喫茶店「ゆにおん」のオムライスのランチは、750円でコーヒー付き。 安くて美味しかった。 

 検索してみるとと「ユニオン」という喫茶店はいくつかあるらしいが、僕が入ったのは叡電出町柳駅の前の通りを百万遍に向かっていくと左手にある小さなお店。 たしか、ひらがなで「ゆにおん」だったはず。  

 

 ひとりでご飯を食べるなら小洒落たお店より、古いお店の方が落ち着く。 たいしてお金も持ってないのに、ひとりの外食にお金をかけても仕方がない。 あるならいいけど無いのだから。  

 どうせ使うなら必要なこと、かつ自らの楽しみのためにお金を使いたい。 その上でさらに良いお店を見つけられたなら、お得な気分にもなれて嬉しい限り。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今日の午後の撮影は何だかんだで、294カットを撮った。 

 

 人ごみの中で撮り始めると自然とテンションが上がり、シャッターボタンを押す回数が多くなる。 良い写真を撮るというのは、たしかに難しい。 

 同時に数を多く撮ることは、それまでと違った何かを見つけることになったりもする。 撮った直後は何が良いのか、まったく判断がつかないが、後になってその中に発見があれば、それは良い写真だと言える。 本当に偶然というものは創作行為にとって、なくてはならない要素だ。

 

 

 その後、久しぶりに「丸善」に立ち寄る。 

 で、ゲハルト・リヒターの Drawings 2018-2022 and Elbe 1957 が目にとまり、しばらく迷うが、結局、購入する。 買わなければ自分は後悔するのか?ということを、いつも判断の基準にしている。 

 

 「花より団子」ではなく、「団子より花」。 

 食べなければ何も始まられないけど、できることなら自分の場合は、本や音楽にお金を使いたいと思っている。 子供の時からそう。 好きな物に囲まれて、刺激を受けながら時間を過ごす。 そういうことが好きなもので。