日な日な余波ははなやか歩く

週1~2回くらいのペースで、ここで写真展をやってます。「繰り返し」と「凡庸」は写真と人生の本質です。

打てども響かず。

f:id:sakakazupics:20210515194731j:plain

 

f:id:sakakazupics:20210515210416j:plain

 

いつも壁にぶつかっている気分になる。お先真っ暗な気分。

明日の日曜の朝は雨降りらしい。写真を撮りに行けないのが辛い。

撮っている時だけが我を忘れられる時間なのに。

 

自分という人間の限界をひしひしと感じる。

限界というとおこがましいが、何と言えばいいのか。

自分を許し、楽しめる瞬間が、ほぼ無いと言えばいいのか。

今日の夕方考えていたことのひとつに、

人の意思というものは何層にも重なっていて、普段の日常会話の中で、どの層の自分で、どう話せばいいのいか判断しているのだろうが、自分の場合、それがとっさに判断できないということ。

永年、頭の中を行ったり来たりして、わだかまりをひたすらくり返す自分がいる。それは簡単に治せるものではない。反射神経も鈍っているし。

「大人としてはそう言うべきだけど、個人としての自分はそう思ってない」から始まって自分の内側を探り出したら、相手との会話の腰は据わらない。居心地も次第に悪くなる。

加えて、もともと僕は意地が悪い人間なのだ。だから無駄に毒を吐きたくないという考えが先に立つ。それでいて器用でもないし、とどのつまり、程よい言葉も出ない。

結果、打てども響かず、である。

 

f:id:sakakazupics:20210515205136j:plain

 

f:id:sakakazupics:20210515205219j:plain

 

f:id:sakakazupics:20210515205251j:plain

 

そんな言い訳も、本当は言うべきではないのだろう。

すべて、引き受けるしかない。自分自身のことだから。

とは言え、居心地の悪さは毎日の憂鬱であり、その憂鬱はやがて人生をのっとることにもなりかねない。気を抜けば、道を誤りかねない事態も起こりうる。

まさに悪循環。

 

だがしかーし、居心地が良いところからは何も生まれないとも言える。

居心地の悪さがあればこそ初めて、そこから何かが生まれるものである。

 

自分の場合も結果はどうであれ、自らの居心地の悪さをエネルギーにして写真を撮り続けるに至っている。写真をやめることになれば、本当にヤバいかもしれない。

そんなわけだから、間違っても、金や名誉のためだけに写真をやっているのではない。もともとどちらも無いけど。

まあ、どっこいどっこい。奇跡のバランス状態としておこう。

 

書いていくうちに自己肯定の文章になってしまうのが、また、面倒臭い。

 

f:id:sakakazupics:20210515215341j:plain

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『刑事物語』は、昭和の映画。

f:id:sakakazupics:20210509113528j:plain

 

昨夜と今朝に分けて、武田鉄矢主演の『刑事物語』の1作目を見る。

WOWOWで他のもやっていたけど、これだけ見ていなかったので録画した。

先日見た今村昌平の『復讐するは我にあり』や、この『刑事物語』のシリーズにしろ、昭和の映画は現在14歳の息子がいるところでは、ちょっと見れそうにない。僕自身は息子と同じ年の頃にTVで見たはずなのだけど。

刑事物語2 りんごの詩』なんて、ちょっとしたトラウマになって僕の中に残っている。そしてその画が今も頻繁に頭の中に浮かぶのだ。

ああ、複雑だけど、やっぱり『2』も録画しとけば よかったか・・・。

 

いつも通りの日曜日の休み。今朝も写真を撮りに街に出かけた。

8,691歩で、278カット。

 

f:id:sakakazupics:20210509121812j:plain

 

f:id:sakakazupics:20210509121839j:plain

 

f:id:sakakazupics:20210509121859j:plain

 

f:id:sakakazupics:20210509121923j:plain

 

f:id:sakakazupics:20210509121952j:plain

 

f:id:sakakazupics:20210509122009j:plain

 

f:id:sakakazupics:20210509122050j:plain

 

f:id:sakakazupics:20210509122130j:plain

 

 

 

GW 5/5 、雨。

f:id:sakakazupics:20210505145110j:plain

 

昨日と同じく、午前4時に起き、身支度して玄関を出たら、雨の音がする。

予報を見ると、今日は1日中、雨。撮影は止めにする。

連休中、毎朝撮るつもりでいたから、それができなくて残念。

 

昨日は部屋でいくつか写真集を眺めた。普段の日常の中で、案外そういう時間はなかったりする。長い休みの間に、だんだん身も心もほぐれてくる。

 

棚から取り出したのが、森山大道『新宿+』(月曜社・2006)。

文庫本の大きさだけど、辞書ほどの厚みがある写真集。1ページづつめくっていくだけでも、結構な時間がかかる。圧倒的な写真の量。カメラで複写された新宿の街がかたまりになって、始まりも終わりもない宇宙を作っている。これぞ「写真」って感じ。

 

f:id:sakakazupics:20210505150919j:plain

 

f:id:sakakazupics:20210505151009j:plain

 

f:id:sakakazupics:20210505151049j:plain

 

あと最近お気に入りの、GUIDO GUIDI(グイド・グイディ)。

『IN SARDEGNA: 1974,2011』という3冊がケースに収まった写真集を、先日購入した。

イタリアの地方の町の古くさい建物をひたすら撮影した写真は、エグルストンのアメリカともまた違った雰囲気で、田舎育ちの僕には、とても興味深い風景写真だ。

自分も老後には、故郷をこんな感覚で写真に収めたいなと思ったりする。

徹底的に郷土色を廃した、客観的視点に立つ日本の田舎写真。

 

f:id:sakakazupics:20210505153306j:plain

 

f:id:sakakazupics:20210505152407j:plain

 

f:id:sakakazupics:20210505152438j:plain

 

f:id:sakakazupics:20210505152511j:plain

 

f:id:sakakazupics:20210505153434j:plain


f:id:sakakazupics:20210505151145j:plain

 

f:id:sakakazupics:20210505153534j:plain

 

f:id:sakakazupics:20210505153607j:plain

 

この5日間、コロナウィルスを避けながらも、いつも以上の量の写真を撮った。

昨年の年末から始めた夜明けの時間の京都市街の撮影は、自らを充実した気分にさせてくれる。

やっと写真というものを、わかってきたのかもしれない。

迷いも負の気持ちも含めて、撮っていて楽しくて仕方がないのだ。

 

f:id:sakakazupics:20210505153646j:plain

 

f:id:sakakazupics:20210505154129j:plain





 

GW 5/2 、今日の写真。

何となく電車に乗りたくなくて、今朝は家から歩ける範囲を撮って歩く。

11,096歩で、234カットの撮影。

 

もう嫌というほど撮って歩いた「近所」というのは、自分の意識の内側の世界で、写真を撮っていても新鮮味はない。それが人情というもの。

その割には撮った。ていうか、止まらなくなった。

 

f:id:sakakazupics:20210503095533j:plain

f:id:sakakazupics:20210503095601j:plain

f:id:sakakazupics:20210503095646j:plain

f:id:sakakazupics:20210503095710j:plain

f:id:sakakazupics:20210503095739j:plain

f:id:sakakazupics:20210503095820j:plain



 

f:id:sakakazupics:20210503100002j:plain

 

f:id:sakakazupics:20210503100057j:plain

 

f:id:sakakazupics:20210503100130j:plain

 

f:id:sakakazupics:20210503100223j:plain

 

f:id:sakakazupics:20210503100254j:plain


 

 

GW 5/2、今日の写真。

今、外では雨が降り出したけど、今朝の天気は良かった。

 

今朝は9,405歩で、209カット撮影。

昨日歩いた街を違う方向から歩き出す。また、新たな気持ちで写真を撮る。

違った試みや、やり直し、開き直り、いろいろある。

 

 

f:id:sakakazupics:20210502095742j:plain

 

f:id:sakakazupics:20210502095810j:plain