今朝は13,400歩で、215カット撮る。今出川通を西に向かって歩く。
いつも壁にぶつかっている気分になる。お先真っ暗な気分。
明日の日曜の朝は雨降りらしい。写真を撮りに行けないのが辛い。
撮っている時だけが我を忘れられる時間なのに。
自分という人間の限界をひしひしと感じる。
限界というとおこがましいが、何と言えばいいのか。
自分を許し、楽しめる瞬間が、ほぼ無いと言えばいいのか。
今日の夕方考えていたことのひとつに、
人の意思というものは何層にも重なっていて、普段の日常会話の中で、どの層の自分で、どう話せばいいのいか判断しているのだろうが、自分の場合、それがとっさに判断できないということ。
永年、頭の中を行ったり来たりして、わだかまりをひたすらくり返す自分がいる。それは簡単に治せるものではない。反射神経も鈍っているし。
「大人としてはそう言うべきだけど、個人としての自分はそう思ってない」から始まって自分の内側を探り出したら、相手との会話の腰は据わらない。居心地も次第に悪くなる。
加えて、もともと僕は意地が悪い人間なのだ。だから無駄に毒を吐きたくないという考えが先に立つ。それでいて器用でもないし、とどのつまり、程よい言葉も出ない。
結果、打てども響かず、である。
そんな言い訳も、本当は言うべきではないのだろう。
すべて、引き受けるしかない。自分自身のことだから。
とは言え、居心地の悪さは毎日の憂鬱であり、その憂鬱はやがて人生をのっとることにもなりかねない。気を抜けば、道を誤りかねない事態も起こりうる。
まさに悪循環。
だがしかーし、居心地が良いところからは何も生まれないとも言える。
居心地の悪さがあればこそ初めて、そこから何かが生まれるものである。
自分の場合も結果はどうであれ、自らの居心地の悪さをエネルギーにして写真を撮り続けるに至っている。写真をやめることになれば、本当にヤバいかもしれない。
そんなわけだから、間違っても、金や名誉のためだけに写真をやっているのではない。もともとどちらも無いけど。
まあ、どっこいどっこい。奇跡のバランス状態としておこう。
書いていくうちに自己肯定の文章になってしまうのが、また、面倒臭い。
昨夜と今朝に分けて、武田鉄矢主演の『刑事物語』の1作目を見る。
WOWOWで他のもやっていたけど、これだけ見ていなかったので録画した。
先日見た今村昌平の『復讐するは我にあり』や、この『刑事物語』のシリーズにしろ、昭和の映画は現在14歳の息子がいるところでは、ちょっと見れそうにない。僕自身は息子と同じ年の頃にTVで見たはずなのだけど。
『刑事物語2 りんごの詩』なんて、ちょっとしたトラウマになって僕の中に残っている。そしてその画が今も頻繁に頭の中に浮かぶのだ。
ああ、複雑だけど、やっぱり『2』も録画しとけば よかったか・・・。
いつも通りの日曜日の休み。今朝も写真を撮りに街に出かけた。
8,691歩で、278カット。
昨日と同じく、午前4時に起き、身支度して玄関を出たら、雨の音がする。
予報を見ると、今日は1日中、雨。撮影は止めにする。
連休中、毎朝撮るつもりでいたから、それができなくて残念。
昨日は部屋でいくつか写真集を眺めた。普段の日常の中で、案外そういう時間はなかったりする。長い休みの間に、だんだん身も心もほぐれてくる。
棚から取り出したのが、森山大道『新宿+』(月曜社・2006)。
文庫本の大きさだけど、辞書ほどの厚みがある写真集。1ページづつめくっていくだけでも、結構な時間がかかる。圧倒的な写真の量。カメラで複写された新宿の街がかたまりになって、始まりも終わりもない宇宙を作っている。これぞ「写真」って感じ。
あと最近お気に入りの、GUIDO GUIDI(グイド・グイディ)。
『IN SARDEGNA: 1974,2011』という3冊がケースに収まった写真集を、先日購入した。
イタリアの地方の町の古くさい建物をひたすら撮影した写真は、エグルストンのアメリカともまた違った雰囲気で、田舎育ちの僕には、とても興味深い風景写真だ。
自分も老後には、故郷をこんな感覚で写真に収めたいなと思ったりする。
徹底的に郷土色を廃した、客観的視点に立つ日本の田舎写真。
この5日間、コロナウィルスを避けながらも、いつも以上の量の写真を撮った。
昨年の年末から始めた夜明けの時間の京都市街の撮影は、自らを充実した気分にさせてくれる。
やっと写真というものを、わかってきたのかもしれない。
迷いも負の気持ちも含めて、撮っていて楽しくて仕方がないのだ。
今朝は、9,134歩、163カット。いつもより少なめ。
何となく電車に乗りたくなくて、今朝は家から歩ける範囲を撮って歩く。
11,096歩で、234カットの撮影。
もう嫌というほど撮って歩いた「近所」というのは、自分の意識の内側の世界で、写真を撮っていても新鮮味はない。それが人情というもの。
その割には撮った。ていうか、止まらなくなった。
今、外では雨が降り出したけど、今朝の天気は良かった。
今朝は9,405歩で、209カット撮影。
昨日歩いた街を違う方向から歩き出す。また、新たな気持ちで写真を撮る。
違った試みや、やり直し、開き直り、いろいろある。