日な日な余波ははなやか歩く

週1~2回くらいのペースで、ここで写真展をやってます。「繰り返し」と「凡庸」は写真と人生の本質です。

GW 5/1 、今日の写真。

f:id:sakakazupics:20210501173640j:plain

 

連休初日の今日。

午後は強い風や雷で不安定な天気だったけど、明け方の空は、ほぼ青かった。

始発電車を降りた時には、すでに街は明るく風景もくっきり見える。

ここまで明るいと昼間に撮る写真と変わらない気がして、今日はもう撮りたい感じに写らないかもしれないと、一瞬、あきらめかけた。

 

とは言えども、結果的には11,413歩で338カットの撮影。一応は夢中になって撮った。

 

夢中にはなったけど撮れた内容としてはそれほどで、これまでの写真とも何となく釣り合わない気もする。

だけども、これまでのやり方に縛られだしたら、自己模倣の始まりだ。

どうであれ、もっともっと「量」を撮ろうと思う。

 

f:id:sakakazupics:20210501174748j:plain

 

f:id:sakakazupics:20210501174850j:plain

 

f:id:sakakazupics:20210501174924j:plain

 

f:id:sakakazupics:20210501174959j:plain

 

f:id:sakakazupics:20210501175235j:plain

 

f:id:sakakazupics:20210501175314j:plain

 

f:id:sakakazupics:20210501175336j:plain

 

f:id:sakakazupics:20210501175403j:plain

 

家に帰ってからの午前は、BSで録画しといた、相米慎二の『翔んだカップル』を見た。

相米慎二の映画の中で、僕はこれが一番好きだ。最後の気だるい感じが良い。

 

f:id:sakakazupics:20210501175436j:plain

 

暇に、まかせて。

f:id:sakakazupics:20210109105659j:plain

f:id:sakakazupics:20210109105747j:plain

 

暇にまかせて、文章書きをします。

 

僕は、自分の写真を発表できるまでのものにするには時間の積み重ねがないと、それなりに厚みのある作品はできないと思っています。

展覧会が決まってから撮っているのでは、到底お見せできるような作品にまでもっていくことはできません。

基本、展覧会が決まったら、まとめに入るくらいの状態にしておかないと絶対に無理です。

たぶん世間の写真家さんのやり方もきっとそうだろうと思い、自然と自分もそういうやり方をするようになりました。

 

f:id:sakakazupics:20210210051314j:plain

 

今年10月ごろに予定している自分にとって久々の個展は、一昨年の年末からの撮影したものをまとめています。

写真のモチーフは夜明けの時間であり、僕は普段から夜明けに撮影することが多いので、自然とそれをまとめたものになりました。

昨年春ごろだったか、撮った写真をスライドショーでまとめてみたら、すでにそこに1つの作品ができていたので、そこでギャラリーにもっていく決心をしました。

 

その後、いくらかは新たに撮った写真と入れ替えをしながら、展覧会と同時に、写真集として編集の作業も続けています。

これが、どれほどのレベルの作品なのか自分でも全くわからないけど、できることの全部はやっているので、もしダメならダメで仕方がないと覚悟しています。

 

で、その作業ばかりに根詰めていたら「思い」がねじれて変になってしまうので、それとは別の撮影も日々、並行して行っています。アクセルとブレーキを使い分けているのです。

この半年くらい、このブログでupしている写真が、それです。

コロナウィルスを避けるためというか、これまでと同じく、夜明けに街に出て三脚を使って京都の街を撮影して回っています。

これまで縁のなかった街々を自らの勘をを頼りに歩き回り、『京都』という看板をはずした「キョウト」の街を淡々と写真にしているのです。

これがめちゃめちゃ面白い・・・撮っている行為が楽しくて仕方がないのです。

 

f:id:sakakazupics:20210220103420j:plain

 

f:id:sakakazupics:20210228114415j:plain

 

f:id:sakakazupics:20210404102212j:plain

 

これまでの自分と違って、「京都」というはっきりした対象にいざ自分が対峙した時、ここまで撮る気持ちと行動が京都という街に誘われていくことになることを体感すると、俄然、写真を撮ることが面白くなりました。

 

現代の街としての京都、そんな対象を自分はどのように写真にするのか、今更だろうが何だろうが、無駄だとしても、やるしかないという状態に陥っています。

まあ、自由の身なので、やりたいことをやろうと思います。

 

 

f:id:sakakazupics:20210411092253j:plain

 

 

 

雨の休日は良いのか、悪いのか。

f:id:sakakazupics:20210429120651j:plain

 

f:id:sakakazupics:20210429120938j:plain

 

休日なのに、昨日からの雨。 今朝は撮りに行けない。明後日からのGWの天気に期待する。

予報では、GW中の午前はほとんど曇りマークだけど、雨が降らなきゃ、まあ、それでいいや。

 

今日は部屋で写真の並びを考える。個展用の準備。

もう長く付き合っている写真だから、正直何がいいんだか、わからなくなっている。しかし疑ってばかりいてもキリがないから、踏ん切りをつけて、初期衝動を信じることにする。

とにかくもかくにも眺めて、腑に落ちる並びを探す。

同時に、思い入れを無くして、写真の表面だけを見る。

肝心なのは、まず自分がどうしたいか、だ。

 

 

f:id:sakakazupics:20210429115028j:plain

 

今年もうちの小さな床の間に五月人形を飾った。一年間のご無沙汰。

5月を感じて、何だか嬉しくなる。

平和ないい季節。

 

f:id:sakakazupics:20210429120532j:plain

 

f:id:sakakazupics:20210429120820j:plain



 

 

 

犬は見ている。

f:id:sakakazupics:20210425092756j:plain

 

f:id:sakakazupics:20210425092821j:plain

 

f:id:sakakazupics:20210425093003j:plain

 

f:id:sakakazupics:20210425093034j:plain

 

f:id:sakakazupics:20210425093055j:plain

 

今朝の撮影、10,098歩で、254カット。

 

次の撮影を一週間待ち焦がれていたので、期待だけが先走りして、風景が思うように見えてこない。曇天模様の空にも、見えない理由はあったと思う。

 

f:id:sakakazupics:20210425093909j:plain

 

f:id:sakakazupics:20210425093933j:plain

f:id:sakakazupics:20210425093955j:plain

 

山下達郎大瀧詠一『新春放談』は、やっと2001年分までたどり着いた。 

でもYouTubeを見ると、まだまだ大瀧詠一のラジオ番組はupされている。

もちろん聴くことになるだろう。

当然、作品も、聴かずにはいられない。今は『ナイアガラムーン 』を楽しく再聴中。

そうやって毎日、『ナイアガラ』印の才能に圧倒されながら、それでも氏の音楽と言葉を聴かずにはおれない。 どっぷりがいいのだか、悪いのだか。なんなら逆に、むなしささえ感じる。

追い打ちで、昨日のBSの特番『わが心の大瀧詠一』では、小林旭熱き心に』に、じーんときた

このまま僕は、気の済むまで、行くところまで行くしかないらしい。

好きという感情だけでいられたなら・・・。

 

大瀧詠一と同じく写真の世界では、森山大道の評価の勢いが、雪だるま式に凄いことになっている。世界の『MORIYAMA』の逆輸入状態。

へエー。

そんな人生もあるのだなと、つくづく思う。

 

f:id:sakakazupics:20210425105405j:plain

 

f:id:sakakazupics:20210425105424j:plain

 

 

 

 

 




 

京都という看板を外す。

今朝の撮影は、9,801歩で、220カット。

お腹が減ったのと寒いのとで、駅に下り立つまで、今日はどんな感じで撮影しようかを考えててない自分に気づかなかった。 頭がぼんやりしている。 

 

今朝の1カットめ。 

f:id:sakakazupics:20210418094003j:plain

 

いざ撮り始めても、ぼんやりが続いている。 撮っている写真が、素通りしていく。 

あれ、何を撮っていたんだっけ? これでは、いけない、空振りは嫌だ。

なんでもいいから実感できる何かを見つけて、リアリティーを獲得したい。

今日も、一からのスタートだ。

 

デジタルの良さは、とにかくたくさん撮れることだと実感している。

35ミリや、ブローニフィルムのように枚数に区切りがないから、意識が区切られず、自分の興味と欲が尽きるまで撮り続けられる。 カードがいっぱいになっても近くのコンビニで買えばすぐだし。

 

f:id:sakakazupics:20210418095341j:plain

 

f:id:sakakazupics:20210418095417j:plain

 

f:id:sakakazupics:20210418095441j:plain

 

f:id:sakakazupics:20210418095523j:plain

 

f:id:sakakazupics:20210418095605j:plain

 

「京都」という看板を一度はずして撮った写真に、再度「京都」という名前を貼り付ける。進む方向が見え出してきた。 

カメラが連れていってくれる場所に自らを任せていれば、奇抜なことをしなくとも刺激をうけられる。 

そして、それの繰り返しは、また新たなグルーヴ感が生んでくれる。

自分のような人間でも、続けていれば知らずと普遍的な場所に近づいていける気がする。

 

f:id:sakakazupics:20210418102617j:plain

 

f:id:sakakazupics:20210418100516j:plain

 

f:id:sakakazupics:20210418100542j:plain

 

f:id:sakakazupics:20210418100631j:plain

 

f:id:sakakazupics:20210418100844j:plain

 

f:id:sakakazupics:20210418100937j:plain

 

掃除と散歩。『サスペリア』に、グイド・グイディ。

f:id:sakakazupics:20210411193359j:plain

f:id:sakakazupics:20210411193428j:plain

 

 

昨日の午後は庭の草をむしり、石を配置しなおす。

日常を整える。

兼業農家生まれの、僕のコロナの日々の過ごし方。

 

明日は休みという日に限って、午前1時とか2時ごろに目が覚めてしまう。

で、そこから眠れない。

撮影のために4時起きだということもあって、興奮しているのか、目覚まし時計を使って起きたことはない。もう僕は、爺さんだ。 

最近は、死ぬまでにやっておきたいこと、というのを考える。

先日は、中学生の頃に途中だけ読んだ小山ゆうの『がんばれ元気』を大人買いし、堀口元気がチャンピオンになる過程をやっと読破できて、すっきりした。

また、一昨日はホラー映画『サスペリア』を観ようとWOWOWで録画をし、いざ冒頭だけ観たが、やっぱり怖くて消してしまった。 

ああ。

でもフィルムで撮った映画は、色も画面がかっこいい。録画を消したのは、やっぱり心残りだ。

また、チャレンジしようと思う。

サスペリア』は2018年にリメイクされたらしいが、観るなら1997年のやつだ。絶対に。

映画のリメイクする意味というのが、僕にはよくわからない。 

元のフィルムが傷んだり、現存していないとかなら別だけど、一度、作品として完成されたものをもう一度やる必要があるのか? お金以外の理由が見つからない。

 

f:id:sakakazupics:20210411205624j:plain

 

アレック・ソスの動画で、グイド・グイディの見たことない写真集が紹介されていたのに引っ張られ、撮影欲がムクムクと湧き、午後は一乗寺から修学院方面を散歩しながら撮影する。

今日は近所を撮るには、絶好の日だ。

自然の淡い緑が青い空に相まって、すべてが美しく見える。

めちゃくちゃ気持ちがいい。なんでも撮れる。

 

ちょっとでも間が空けば、何かやらねばと思うってしまうこの時代、適当にできるなら適当にしたい。でも、できない。 心から、のんびりできない。

 

一寸先は自らの闇に飲まれそうな不思議な不安が、今日の青い空に溶けていく。

 

はあ、まあ、いいかあ。

 

f:id:sakakazupics:20210411201019j:plain

f:id:sakakazupics:20210411201105j:plain

f:id:sakakazupics:20210411201135j:plain

f:id:sakakazupics:20210411201201j:plain

f:id:sakakazupics:20210411201231j:plain

f:id:sakakazupics:20210411201309j:plain

f:id:sakakazupics:20210411201354j:plain

f:id:sakakazupics:20210411201428j:plain

f:id:sakakazupics:20210411201459j:plain

f:id:sakakazupics:20210411201615j:plain

 

 

 

f:id:sakakazupics:20210411201659j:plain





 

 

 

 

昨日と今日。

休日の昨日と今日は天気がいい。 昨日の朝も今日の朝も4時起きで、写真を撮りに出る。

京阪電車の駅から地上に出ると、空はすでにうっすら青い。

昨日は 10,588歩で 210カット、今朝は 8,934歩で295カットを撮る。

 

f:id:sakakazupics:20210411092253j:plain

f:id:sakakazupics:20210411092338j:plain

f:id:sakakazupics:20210411092413j:plain

f:id:sakakazupics:20210411092456j:plain

f:id:sakakazupics:20210411092538j:plain

f:id:sakakazupics:20210411092607j:plain

f:id:sakakazupics:20210411092645j:plain

 

 

f:id:sakakazupics:20210411092803j:plain

 

先月、初春の頃。 闇に浮かび上がる光に無意味に引き寄せられていた自分に気がついてからは、ちょうど季節も春本番になったことで朝の陽光も変わり、自分の目も変わった。

 

今朝などはあまりに辺りが輝いて見えて、トイレに行きたいのも我慢しながら無我夢中の状態で、撮影をなかなか止められない。むやみやたら撮ってしまう。

だからと言って、考えれば良い写真が撮れるというわけでもないので、欲望と直感に任せ、流れるままに撮影する。

1つや2つ、いいのがあれば、それでいいのだから。

 

f:id:sakakazupics:20210411100204j:plain

 

 

 

f:id:sakakazupics:20210411094823j:plain

f:id:sakakazupics:20210411094916j:plain

f:id:sakakazupics:20210411094958j:plain

f:id:sakakazupics:20210411095024j:plain

f:id:sakakazupics:20210411095051j:plain

 

f:id:sakakazupics:20210411095136j:plain

f:id:sakakazupics:20210411095201j:plain

f:id:sakakazupics:20210411095233j:plain

f:id:sakakazupics:20210411095306j:plain

f:id:sakakazupics:20210411095338j:plain

f:id:sakakazupics:20210411095407j:plain

 

 

f:id:sakakazupics:20210411095450j:plain

 

f:id:sakakazupics:20210411095512j:plain